大きいスーツケースに乗り換える

published: 2018-08-01

last modified: 2018-11-28

一度実家から福岡に帰る折に、スーツケースを大きな物に乗り換えた。9月から3ヶ月NYに行くのもあって長期滞在用の物を持っておきたかったからだ。

実際のところNYに行く前にもう一度実家に戻ってくるのだが、その時は機材が多くなりそうな予感もあったので。

このスーツケース、小さい方も大きい方も自分のではなくて父親のものだ。本当はNYに行く時のスーツケースは自分で買うつもりでいたのだけど、もう海外出張に出かけるような機会も無いだろうということで再び貸してもらう事になった。

そう、このスーツケースを借りるのは3年ぶり2回目だ。1回目は学部3年の夏休みの2ヶ月丸々YCAMにインターンをしに行った時。

ちょうど8月の頭から行ったのでちょうど今と同じ時期に羽田までこのスーツケースを転がして、スターフライヤーに乗るのを待っていた。

その時は飛行機に乗るのが小学生以来でやたらと舞い上がっていたが、天気が死ぬほど悪くて死ぬほど揺れたのを今でも覚えている。

飛行機ってこんなに揺れるものだったのかと思ったけどその後の3年間で数十回飛行機に乗り未だにあの時を超える揺れには出会ってない。

山口にいた2ヶ月は行く前にはすごく長いものだと思っていた。2ヶ月といったら1年の1/6なわけだし。

今は家から出かけるのではなく福岡の家へと帰る途中で、もう飽きるほどやった搭乗手続きを待ちながらNYで3ヶ月過ごすの、長いなあ、だって1年の1/4なわけだし…などと考えている。当然2ヶ月の夏休みは一瞬だった。3ヶ月だってそうに決まっていると理解だけはしているけど、何があるかわからないというだけで長く感じる。


自分のことを誰も知らない場所に首を突っ込みに行くのが自分は多分好きだ、と思う。高校を選ぶのも、大学も大学院も、バイト先やインターン、今回の留学も。

自分が浸かっていた水風呂が自分の体温でぬるくなってくるとこのぬるま湯に浸かって甘えていてはダメだ、と思って勝手に出て行く。

で元いる環境が嫌いになって出て行くわけじゃなくて(稀にあるけど)、好きだからこそ出て行くので後から移った環境に少しでも不満が出てくると前いたところに戻りたくなってくる。もちろん出て行くときにはそんな事に気がついてない。アホだ。

もちろん今までやってきた事を後悔してるわけでは全くないけれど、その時その時で楽しかった時間と楽しくなかった時間の割合を思い返してみるとちょっと神妙な面持ちになってしまうのもまた事実。

今多分気にかかっているのはNYでの生活の不安でもなく修了後の進路でどこにいるべきかでもなく、この居場所を転々とし続ける自分の行動パターン自体が本当にいいのかどうか、ではないかと思う。

3年前、山口の空港に着いてから新山口までマンスリーマンションの鍵を受け取りに行って、スーパーがどこにあるかわからないのでそこで買い出しをして、山口に電車で移動して、買い出しで買ったフライパンとかを含めると荷物が重すぎて歩いても歩いてもマンションまでたどり着かない気がして初っ端から泣きそうになっていた。

今スーツケースは割とスカスカで、あの時買ったフライパンの置いてある家にこれから帰る。またNYに行ってすぐ死にそうになると思う。

(思い返すといつかのアメリカだかシンガポール出張のときはこのスーツケースだったかもしれないので、このスーツケース借りるの2回めじゃないかも、、)

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