遠くに音を届ける

published: 2020-03-25

last modified: 2023-03-24

昨日大学の授業開始が一週間遅れることが決まった。非常勤先の開始は二週間遅れになった。

3月ということもあるし、やはり2011年を思い出さずにはいられない。

無論当時と状況は全然違うのだけれど、「一週間後に世界がどうなってるかの想像が全然つかない」という一点に絞っても十分あの時と状況が似ている。

未踏というでかい目標を倒したばかりなのもあるけど、1年どころか1週間後の状況もわからない今自分のこととして何をやっていいのかよくわからなくなった。

とりあえず授業準備に、それなりに締め切りの迫った論文、幸い流れていないクライアントワークとやることは多いし、手を動かせばいいのはわかっているんだけど、仮に今全く仕事がない状態だったら今何をしていたんだろうと思うとぽかーんとしてしまう。

いや、音楽を作れよみたいな話もあるのだが、今音楽作って、だからなんなのみたいな気分にもなってきてしまった。

スペキュラティブデザイン系のプロジェクトとかでいろんな未来像の想定をしているものはあるけど、ウィルスであらゆる都市がロックダウンされて家から出れなくなってもみんなが幸せに数ヶ月間生活していく方法について考えてた人なんて誰もいなかったわけだし、そういう当たり前にできていた生活基盤のうち何か一つが突然消滅することについてばかり考えてしまう。

突然コンピューターとインターネットが世界から消滅しても聴ける音楽、みたいなことをたまに考えることがある。前まではそんな極端な状況の想像をして、例えばそれを自分の作品の中に取り入れてみるとかしてもあんまりしょうがないよなあ、とか思って途中で考えるのをやめていたのだけれど、これだけ意味がわからないことが起きていると自分が生きている残り数十年の中で、数ヶ月間とか数年間だけインターネットが消滅する時期があってもおかしくないんじゃないだろうか・・・とか思うようになってきた。世界中のインターネットエクスチェンジとか海底ケーブルが同時多発テロで吹っ飛ぶとか(縁起でもないけど)。

音楽が時間の中にしか存在し得ないものだからこそ、既存の文明が何かのきっかけでスッ飛んだとしてもオーパーツとして残り続けるような、クマムシみたいな音楽のあり方について考えたい。

mimiumという音楽プログラミング言語は多分これからコンピュータとともに社会が"正常に"発展した時に音楽の新しい基盤になるような、ある意味で最大公約数的な考え方で作っているツールで、まあそれはそれでいいけど、その真逆はなんだろう。


Paul Demarinisという尊敬している作家の代表作、The Edison Effect(1993) という作品シリーズの中の一つに"Fragments from Jericho"(フータモ「メディア考古学」の中では「ジェリコーからの呼び声」、という訳だったと思う)という作品がある。

https://pauldemarinis.org/EdisonEffect.html

陶器で作られた容器の外側に溝が掘ってあり、その溝のグルーヴをレーザーで読み取ると微かに音声が再生される。

例えば原始時代の人が土で作ったツボにナイフで模様をつけている時にその場の環境音が刻み付けられてる可能性もあるかもなーとか、そういうことを考えさせられる面白い作品(と、いってもこの作品に関してはいまだ現物を見れていないのだが・・・・)。


なんでこの作品のことを書こうとしたのか忘れたのでまあいいや。ここ最近の音楽はライブやらストリーミングやら、距離を近づけることに躍起になってきたように思う。それはまあレコードでもCDでも、できるだけ最新の曲を、できるだけHigh Fiderityな音質で、色褪せないように刻み付けてお届けするという意味では多分同じだ。

コロナ騒ぎがひと段落するとまた「生の」音楽への揺り戻しが一層加速するだろうし、個人的には今のうちに、生じゃない、死んだ、いや死んでなくてもいいけど、なんだろう。モノとしての音楽というか、“遅い"音楽とか、動かない音楽とか、すごくゆっくりと時間をかけて遠くに到達する音楽とか、そういうことについて考えておきたい。

今回の騒ぎが収束するまでに何か具体的なものを作れるかはわからないけど、多分生の音楽への揺り戻し、のさらに揺り戻しがやって来るような気はするし、それまでゆっくりした準備をしておきたい。

そういえば大人の科学のレコード録音機まだ買ってなかったな。買おうかな

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