この文章は今年取っていた知財関連の授業の課題レポートとして提出したものなのだが、即席でガーッと書いた割には悪くない内容だと思い、折角なので一部改稿してここに置いておくことにする。
本稿では、筆者が博士研究として行っているメディアとしての音楽プログラミング言語が、その社会実装において目指す文化を足がかりに、ソフトウェアとしての音楽作品と、それに関わる知的財産権が関わる話題について考察する。
筆者は現在、コンピューター上でソースコードを読み込み実行することで音楽が再生されるプログラミング言語mimiumを設計、開発している1。
音楽に特化したプログラミング環境はこれまでも多数存在してきたが、それらの主な目的はコンピューターを用いて音楽を"作る"ための環境、いわば創作者をサポートするツールとしての位置づけである。mimiumはそれだけではなく、ソフトウェアとして音楽を配布するためのメディウムとして利用することを大きな目的としている。
ソフトウェアとしての音楽、というのは代表例としてアンビエント音楽家Brain EnoとプログラマーPeter ChilversによるBloom(2008)やReflections(2015)などのiPhoneアプリとしての音楽が挙げられる2。このアプリケーションでは毎回再生するたびに異なるパターンの音がプログラムとして生成されるようになっている。
筆者はこうした音楽を短いソースコードとして簡単に制作でき、更に聴取者側も言語のインタプリタを持っていれば簡単にこの音楽を再生することができるような環境づくりの第一歩としてこの言語の開発を位置付けている。こうした音楽が普及した先に、これまでのように制作された音楽の一部をサンプリングして利用するようなリミックスだけでなく、アルゴリズムや楽曲制作の手法自体の引用とリミックスーレフ・マノヴィッチが言うところの、メタメディアとしてのコンピューターの特性である、“Deep Remix”3を原理的な意味でそのまま実現するような文化が生まれることを大きな目標としている。
本稿では、そうした文化における知的財産権保護(あるいは、保護しないことによる文化のより速い往還)について検討するために、特にソフトウェアとしての音楽、というカテゴリにおける知的財産権について考察する。
とくに、音を生成するプログラムに関して、そのプログラムによって作られた音を録音し配布する行為をどう捉えるべきかという議論を行い、並列して、プログラムとしての音楽におけるAuthorshipとは何か、ソフトウェアとして音楽を作る文化を醸成するために必要な知的財産権の議論とは何かを検討する。
録音された音は複製か?音楽ソフトウェアのゲーム的側面
ソフトウェアとしての音楽の複製について検討する。
たとえば先ほどのEnoらのアプリケーションから生成された音を1時間ほど録音して、それをインターネット上にアップロードした場合は複製権の侵害に当たるだろうか?
このケースは、ゲーム実況の映像のアップロードが複製権の侵害に当たるかどうかの議論と類似性があると考えられる。日本の知的財産法における解釈では、
ゲームソフトについては、プレイヤーの操作によって現れる映像が異なり、常に一定の映像が再現されるわけではないため、ものに固定されている(固定性)という要件を充足するかどうかが問題となりうる。固定性の要件は、著作物が物と結びつくことによって、同一性を保ちながら存在し、かつ再現されることが可能である状態を指すと解されている。4
とあり、ゲームソフトはこの要件を満たすことで"映画としての著作物”として解釈される。では同様にソフトウェアから生成された音楽は録音音楽と同じような著作物として解釈されるのだろうか?
たとえば前掲したEnoらによるiPhoneアプリとしての音楽作品は、放っておいてもランダムに音が変化し続けるが、それだけでなくユーザーが画面をタッチしてもそれに対しての反応が音に反映される。この一度再生されたを音を全く同じように再現することは難しい(何せ、毎回異なる音が出ることを謳い文句としているのだから)。
しかしソフトウェアとしての音楽にはもっと同一性の判断が微妙なケースもある。まさにゲームの中で鳴らされる音楽は近年、ゲームの進行状況や時間、ユーザー操作に反応して展開を有機的に変化させていく手法が多く用いられている5。
たとえば次のようなケースを考える。あるRPGゲームで、特定のボス戦が始まってから終わるまでの音楽を録音したとする。その曲は戦闘の展開にしたがって概ね3段階に使われる楽器の種類が変化するが、生成されるメロディーはアルゴリズミックに生成され、ユーザーが何度聞いても毎回別のメロディーだと判断されるものだとする。
つまり、大半のインタラクティブなゲーム音楽ほどはユーザー操作による再現性がないが、Enoのアプリケーションよりは再現性がある。
こうした微妙な例で録音された音楽を保護すべきか否かはそもそも保護することによって、著作権の根本的な目的である文化の発展への寄与があるかどうかという視点に立ち戻るべきだろう。
たとえばEnoのアプリケーションのユーザーの入力に対して音が変化するという性質は、ある意味で楽器のようなものだとも思える。ここで、アプリケーションから出力された音を録音したものを聞く行為は、アプリケーションの想定された音楽体験のうちの一部でしかなく、実際にはユーザーが操作するという体験を通じてはじめて著作者の意図した表現を十分に受け取ることができる、それ故に録音したものを配布したとしても著作者に明確な不利益が生じるものではないという考え方もできるだろう。ただしこの考え方を認めた場合は、録音物を配布する行為が、アプリケーションを制作した人間が想定されたものと異なる体験をされているという点で、著作人格権の同一性保持権を侵害すると主張するということも同時に認められるべき、と言えるかもしれない6。
つまり、ソフトウェアとしての音楽でも、ユーザーの入力が全くなく、単にランダムに音楽が生成され続けるようなものなら、それを録音したものの配布に関して複製権を侵害する可能性があるし、ユーザーの入力に応じて出力が変化するようなプログラムなら、それを録音して配布することは同一性保持権を侵害する可能性があるというグラデーションがある。
ソフトウェアとしての音楽の楽器的側面
ところで、ユーザーの入力に対して音が変化するシステムを楽器とするとして、それを表現として著作権が付与されることはあるのだろうか。
音楽をソフトウェアとして制作するインフラストラクチャが普及した際には完成された楽曲と、ユーザー入力を元に音を生成する楽器との境目がだんだんと曖昧になっていくことでもある。さらに、楽器と楽曲の境目が曖昧になるということは、音楽を生産するものと受動的に消費するだけの一方的な関係性が変わり、楽曲を制作することは誰かの作ったソフトウェアシンセサイザーという表現を利用して新たな表現を生み、リスナーもまた能動的な操作によって多様に変化する音を生み出すという点で、レッシグの言うRead-OnlyカルチャーからRead-Writeカルチャー7への変化を後押しするものでもあり、最終的には音楽産業のあり方と、それを支える法体系のあり方をも変えうるものであるから、楽器制作者の知的財産権の形態は考えるに値する事項だ
一般的に楽器そのものの仕組み自体は特許で保護され、仕組み以外の部分では意匠権などを元にコピーを防ぐ。
もちろん、ソフトウェア・シンセサイザーなどのプログラムとしての楽器はすでに述べたように著作権での保護がされるが、保護されるのはプログラムそのものであり、音を合成するための手法やアイデアではない。
たとえばシンセサイザーの音声合成アルゴリズムのひとつであるFM合成は70年代にスタンフォード大学で開発され、ヤマハにライセンスをすることで大きな利益を生み出した8。
しかしこうした例は楽器の中では稀有なものであり、多くのシンセサイザーやエフェクターでは楽器の合成手法そのものに対しては特許を申請するほど技術的新規性がないものが大半である。しかし一方でそれらの製品は出音のオリジナリティを謳い経済的価値を担保しているものも多い。
現状これらを製品として販売するときには、プログラムそのものがコピーできずとも、内部のアルゴリズムを分析されて、ほとんど同じ音が出せるクローン製品が出てきてしまえば市場的な優位性が下がってしまう。それ故こうしたソフトウェアのソースコードがオープンになることは滅多にないし、エンドユーザーの利用規約にはリバースエンジニアリング禁止条項が付される。
筆者は現状の法体系は音楽に関するソフトウェアの技術的、経済的発展を阻害していると感じている。些細なアルゴリズムの発展そのものは、特許を申請するほどの技術的新規性がなくコスト的に割に合わないが、一方でその手法が他者に真似されることは経済的な損失を伴う、という現状である。そのためソフトウェアは秘匿化され、ますます技術的な往還は減っていく。企業やソフトウェア開発者がもっと手間をかけずにアルゴリズムや手法の発明を表明し、それを気軽に(有償無償問わず)ライセンスして技術の交流が進み、新たな技術が作られる、という流れを後押しするような仕組みがあるべきではないだろうか。現状では、発明の手前である考案を保護する実用新案権が存在するものの、この分野での適切な役割を果たしているとは言えない。
また筆者はFM合成も含めてこうした数多あるソフトウェアは、確実に、共通して使われた音楽に対して、主に音色という形だったりで、特定の表現としての質を形作ることに寄与していると考えている。
つまり、ソフトウェアとしての音楽作品というフォーマットを今後より一般的なものにしていくにあたって、今後、音楽表現における著作者のauthorshipが、より複雑化していくのではないか、そしてその時独自性のある楽器やエフェクトを(プログラムという形で)制作する"表現者"の活動を社会的にどうやって後押しするべきかという議論が必要になってくると考える。
これはすなわち、音楽「産業」はどこに存在するかという議論でもある。スターンは現状の音楽産業とは、完成された録音音楽作品に対してのみ作品という枠組みを与えており、これは他にも楽器を作ったり、あるいはリズムパターンを作ったりする人に対しての作家性というものが認めていない、音楽文化を醸成するにはもっと多様な役割の人物が複雑に関わり合っているのを希少化しすぎているというのをクリストファー・スモールのミュージッキングの概念を足がかりにして主張している9。ソフトウェアとして音楽を作る文化の中では、現状の意味での「音楽産業」で行われている権利ビジネスと、楽器ソフトウェアで行われているプログラム保護の問題とを、地続きのトピックとして扱う必要性が出てくるだろう。
ソフトウェアとしての音楽が普及した世の中で、そうした作品はそもそも貨幣と交換されて流通するべきかどうかという議論もあるが、仮にソフトウェア音楽を有料で流通させた場合にその価値を、その作品制作に寄与した多くの人物(≒作曲を行なった人、そこで使われたバーチャル楽器や、リズムマシンのアルゴリズムを制作した人)に公平に利益を分配する方法を検討し実装するという方向で、普及の後押しをすることは可能かもしれない。これには法律自体の変化を促す運動も考えられるし、クリエイティブ・コモンズ10のように、プログラマー側がライセンスを明示するための仕組みを整えることでも進められるかもしれないし、JASRACに変わるソフトウェア音楽のための著作権管理の団体や、管理を自動化するためのシステム作りという形で進めることも可能だろう。
結論
本稿では、「ソフトウェアとしての音楽」の文化を形作るために必要な知的財産権に関する議論を主に2つのトピックで検討した。
1つは、ゲームを映画的著作物として取り扱う現状を起点として、「ユーザーが何かしら能動的な行動をすることによって初めて体験可能な表現を持つ著作物」を複製するとはどういうことかを考えることで、ソフトウェアとしての音楽を録音して配布することを社会的に是とすべきかどうかを考えられるだろうということだった。
もう1つは、ソフトウェアとしての音楽において、楽器と音楽の境界が曖昧になったとき、現在楽器の音生成の手法を、特許として保護されないレベルの新規性、しかしある独自性を持つものを表現としてどう保護したり、適切に社会の中でその表現者が利益を受け取れるようになるべきかという議論が必要だろうという内容だ。
筆者はソフトウェアとして音楽を作り配布するような文化を形作るための環境整備に関わる研究全般を、プログラミング言語の設計も含めて「音楽土木工学」という学問分野として最終的に確立すべく研究を進めている。
土木工学というワードは音楽に関するインフラの整備という点から、都市計画をするように未来の音楽文化の姿を見つめ直すというアナロジーなのだが、実際に新しく作られた街を運用するのは人間であり、新しい街には新しい形の法体系、敢えて言い直すならば街にインストールされるソフトウェアについても同時に検討することが必要になるのだろう。
Matsuura, T. and Jo, K. 2021. mimium: A Self-Extensible Programming Language for Sound and Music. FARM 2021 - Proceedings of the ACM SIGPLAN International Workshop on Functional Art, Music, Modeling, and Design (2021) (To be Published. preprint: https://doi.org/10.5281/zenodo.5044732 ) ↩︎
Generativemusic.com, Apps by Brian Eno and Peter Chilvers, https://generativemusic.com/ 2021/07/29閲覧。 ↩︎
Software Takes Command, Lev Manovich, 2013, Bloomsbury. ↩︎
入門 知的財産法 第二版、平嶋竜太&宮脇正晴&蘆立順美、有斐閣、2020、143p. ↩︎
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのサントラを買う人が知らないゼルダBGMの裏側、じーくどらむす、2018、 https://note.com/geekdrums/n/naeac6465b1a5 、2021/07/29閲覧。 ↩︎
ちなみにBrian Enoの"Reflection"は同名の作品で50分程度の、プログラムから生成されたある1パターンが録音作品としてもリリースされている。 ↩︎
REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方, ローレンス・レッシグ、山形浩生訳、翔泳社、 2010 ↩︎
技術移転の考え方 ―大学と大学に所属する研究者のために― 赤門マネジメント・レビュー 2 巻 10 号 ,高橋 伸夫&中野 剛治,2003, https://www.jstage.jst.go.jp/article/amr/2/10/2_021002/_pdf ,2021/07/29閲覧。 ↩︎
There Is No Music Industry, Jonathan Sterne, media industries Volume 1, Issue 1,2014. https://doi.org/10.3998/mij.15031809.0001.110 ↩︎
クリエイティブ・コモンズとは? クリエイティブ・コモンズ・ジャパン https://creativecommons.jp/licenses/ 2021/07/29閲覧。 ↩︎