Matsuura Tomoya

Fri, Jun 15, 2018

緑青vol.1【復習|Relisten】&2【練習|Practice】を開催します

2017年末に増田義基、岡千穂と企画してライブをやった電子音楽や実験的な音楽について考えていくイベント【緑青】というイベントの続きをやります。今回は単なるライブではなく、6/22にお互いの各作品を聞いて話をするライブ配信と、7/27に歌を作ってミニライブを行うという2本立ての企画になっています。

ライブストリーミングのURLなどはまた後日更新します!

緑青で増田義基、岡千穂と一緒に目指していることををさっと説明するのは非常に難しいというか、正直三人共はっきりと言語化できていないけれど多分ある程度共通しているのはわかる、ような状態です。

むしろそれをはっきりとさせるためにイベントを行う、目的をはっきりさせることが目的みたいなややメタメタしいイベントになっています。

もう少し具体的な話をすると、緑青というイベントのはじめの出発点であった電子音楽とか実験音楽とポップなものを真面目に考えていく場所がほしい、という話はもちろん続いています。その上で継続的にそれを考えていくためにはどういう形態がいいんだろうか?ということを考えたときに、ただライブを連発して企画するのも運営に疲弊してしまう割に刹那的な感じで終わりあとに何も残らない・・・みたいな感じもどうなのだろう、という話になったりしていろいろ模索中、というところです。とはいえ7月の次にはまた初回のようなライブっぽいこともしたいですね、とかいう話もあるにはあるので、ゆっくりと眺めていただければと思います。

とりあえず6/22の復習/Relistenでは演奏したり作ったりすることの前に作ったものを聴く、ということにフォーカスしたいですね、という話から、過去3人が作った音源を引っ張りだして、それにまつわる文章を書いて、3人でそれを聞いて、いろいろと話をしてみようという内容になっています。

自分はちょうど1年ちょっと前に作った「つゆ」という曲についてこういう文章を書きました。

クリスマスツリーとサグラダ・ファミリア

どうして音楽を作るのか、というだだっ広い話題から始めてみたい。 ある人は自分の思うことやメッセージを伝えるためにつくる。ある人は新しい技法を取り入れた物を作りたくて、自分で一番聞きたいものを作りたくて。 それが自分の場合にはずっとわからなかったもので音楽が作れなかった、というか出来上がったにしても全然納得がいったものではなかった。

だんだんと分かってきたことは、自分は日常聞いている音楽は基本的にポップミュージックと言われる範囲のもので、実験音楽だとか、あるいは電子音楽(という雑なくくりも微妙だが)にはリスナーとして全然興味が持てなくて、一方音楽の実践者、演奏などをするときにはポップとかどうとかでは全然なく、実験的なものや、あるいは楽器そのものを作ってしまうようなアプローチにしか興味が持てない、ということだった。そして周りを見渡すと意外と(特に実験的なところにいる人達には)そういうタイプの人はいて、演奏はするけど音楽はそもそも全然聞かない、みたいな人もいる事に気がついた。

それがわかってからは自分の中での「リスナーモード」と「プレイヤーモード」というものがスイッチできるようになってきた。そして「プレイヤーモード」のまま聴くということも可能で、そうすれば実験的なものとかも結構楽しめるのだとわかってきた。


自分が楽器(ソフト込み)を作ったり、演奏するときに使う楽器で好きなものは、中身の構造がわかっているのにそのコントロールができない、先の挙動の完全な予測ができない、というタイプのものだ。これは特にフィードバック構造を持つものに顕著に現れるのでよくオーディオフィードバック=ハウリングをよく使う理由でもある。 楽器は一種の道具だ。道具はよく身体を延長、拡張するものだと言われるが、これがある程度自律的に動く、またコントロール不可能になるにつれて自分の身体の延長から新たな身体とのコミュニケーションに近いようなところが出てくる。わかりやすいところでいえば、Siriのような音声コントロールがそうだし、コントロール不可能性というところを含めるとキャラクターがインターフェースのメールソフトPostpetはメールを時々誤配する。

要するに自分の場合のプレイヤーモードというのはこの(ディス)コミュニケーションみたいなものに向き合うことだと思っている。


ところで「プレイヤーモード」のまま聴くこともできるなら改めて「リスナーモード」を音楽制作や演奏にもきちんと取り入れられるのではないだろうか、と思って1年前ぐらいから時々音楽のようなものを作るようになった。自分の「リスナーモード」の方を噛み砕くと、「製作者にまつわるパーソナルななにか」と「音楽における構造的ななにか」という2つの要素がポップミュージックを形作っていると考えている。

とりあえず前者については一旦置いておくにして、後者はつまり、時々言われる気がするけどポップミュージックとは建築的なものだと思う。全体の骨組みがあって、それを更に細かな構造が覆っていくようなもの。というかこの考えは自分のものでもなくてブライアン・イーノが生成的音楽に対して建築からガーデニング的なものへ変わっていくという例えそのまんまである。https://wired.jp/2018/03/01/brian-eno-ar-installation/

しかしこれを自分のプレイヤーモードに納めようと思うとうまくいかない。全体の骨組みを作るにも大きな木を削って大黒柱を作るようなやり方ではなく勝手にわさわさ成長していく木を剪定して頑張って形を整える。まさにガーデニングの例えというか、盆栽とかそういう感じに近いのだろうか。

というわけでとりあえず自分なりにポップミュージックに近づく一歩として、勝手に鳴り続けるシステムで作った音を一つなが~く録音してみて、固定した、動かないものにする。そこから上に付け足すものを考えてみる。言うなればもみの木を伐採してきれいに飾り付けをするクリスマスツリーか。

あるいは建築は建築でも、ガウディのそれとかは近いかもしれない。ガウディの建築は直線が建物の中に全く無かったり、自然から得られる構造をもとにして形を作ることを重んじていたり。全体の大きな設計図が残っていないものが多く模型を中心に作っていたりとか、大きな骨組みを使って精密に組み上げていく建築とはかなり趣が違う。そう思うといつまでも完成しないサグラダ・ファミリアは音楽に置き換えてみるとポップ・ミュージックと実験的な音楽の間の魅力的なものになっているかもしれない。