Mother, Demos of All,

published: 2026-03-22

last modified: 2026-08-14

音楽プログラミング言語mimium を用いた「デモンストレーション」についての、リーディング/サウンドパフォーマンス。

デモンストレーションとは何かを提示することであり、それは政治的な直接行動を意味することもあり、一方で技術的発展をアピールするために用いられることもある。

このパフォーマンスでは、ダグラス・エンゲルバートに代表される技術的デモンストレーションが脱政治化されてきた歴史を振り返りながら、それをライブコーディングにおけるコードを見せることの美学と接続し、技術的デモンストレーションの再政治化を試みる。

パフォーマンスは、マイクロフォンで拾われる朗読の音声をリアルタイムで意図的にオーディオフィードバックを起こしながら、それを制御することで実行される。

Photo by Kenji Agata

パフォーマンス中の松浦が中央に写っている。松浦の前の机にはラップトップが2台とメガフォンが1つ。松浦は首から小さなホイッスルを下げている。右側からブームスタンドを通してマイクロフォンが松浦の口付近に向けられている。背景上方にはラップトップのスクリーンが下半分だけ見切れた状態で写っている。観客の頭が映り込んでいる。

アップのパフォーマンス中の松浦の上半身。右手でメガフォンを斜め上に向けて掲げている。

右手前側から撮影したパフォーマンスの様子。左中央で演奏中の松浦。スクリーンが背景に写っておりテキストエディタが右半分、左上に波形スコープ、左下に言葉が表示された別のエディタが写っている。スクリーン下中央には大きなサブウーファーがおいてある。左下にポータブルレコーダーで録音しているのが見て取れる。

やや左後ろ側から撮影されたパフォーマンスの様子。

後ろから広角で撮影されたパフォーマンスの様子。2~30人程度の人が椅子に座ってパフォーマンスを鑑賞している。

やや左側からアップで撮影された松浦のパフォーマンスの様子。左手で口の手前にメガフォンを持ってきており、右側からブームスタンドで2つのマイクロフォンがメガフォンの先を向くように設置されている。

スクリーン上の左下のテキストを撮影したもの。テキストには「しかし、Bulletと名付けられた関数定義を書き換えることで、明らかにBulletではない音を作ることは容易です。私にはBulletを破壊する自由があります。」続けて英語訳も表示されている。

正面後ろから撮影されたパフォーマンスの様子。松浦は左手でメガフォンを口の手前で構えている。左端に定点の映像撮影用の一眼レフが立っている。

上演中に読み上げたテキスト

Mothers, Demos of All,

母よ、全てについてのデモたちよ、

これから行うのは、音楽プログラミング言語mimiumのデモンストレーションです。

音楽のプログラミングは、スピーカーの振動の波形を計算で作り出すことによって行われます。

スピーカーを1秒間に1000回震わせるように記述すれば、1000Hzの音が鳴ります。

マイクロフォンからの入力を加えると、このように喋っている私の声を増幅することができます。


私はデモンストレーションをしています。

デモンストレーションという言葉は、何かを示すこと、見せることという意味を持っています。技術的発展を証明するためのデモという使われ方もあれば、政府に対する抗議の意を示すデモという使われ方もあります。

デモンストレーションとは、何を示す物でしょうか。

1968年に、コンピューターサイエンスの研究者ダグラス・エンゲルバートは、今日のマウスやワードプロセッサーに通じるシステム、NLSのデモンストレーションを行いました。

このデモンストレーションは、後にジャーナリストのスティーブン・レビーによって、全てのデモの母「The Mother of All Demos」と形容され、広く知られています。

母がデモを産み落とす。

レビーがこの文章を書いたのは1994年です。1991年に始まった湾岸戦争の開戦時、イラクのサダム・フセインは、全ての戦いの母が始まった、と発言し、アメリカのメディアはそれを「The Mother of All Battles」という訳とともに繰り返し報じました。

強気の宣言と裏腹に、わずか100時間で停戦に至った湾岸戦争でのThe Mother of Allという表現は、皮肉を込めた最上級表現として定着しました。

母が戦いを産み落とす。

エンゲルバートの研究は、ヴァネバー・ブッシュという研究者の、「私達が思考するように:As We May Think」という文章に影響を受けた物です。この文章は、原爆の開発を行うマンハッタン計画にも深く関わったブッシュが、戦後の軍事目的ではない科学研究の行先を示すものとして、広島と長崎に原爆が落とされる1ヶ月前に発表されました。

若き日のエンゲルバートは、従軍中にフィリピンの小屋の中でこの文章を読み感銘を受け、人類が扱う問題が複雑になればなるほど、その解決のために必要になるのは人類の知能を強化すること-Human Augumentationであると考えるようになりました。

1990年代になってエンゲルバートの目指したビジョンの延長にあるパーソナルコンピューターは普及を始めました。そこから振り返って彼のデモは、The Mother of All と、戦争をメディアを通して冷めた目で見つめる人々のミームで形容されました。

実際のところ、彼が戦争についてどう考えていたのかは分かりません。彼はデモの中では、「何ができる」かを見せることに終止しました。このデモはだからこそ分かりやすく、人々の心を動かし、歴史に残ることに成功しました。

それは同時に、デモンストレーションから「何をするべきか」「なぜするべきか」を排除したということでもあります。

湾岸戦争は停戦に至りましたが、平和条約は締結されませんでした。その後イラク戦争が起き、今日のイラン戦争に至るまで、中東での国際戦争は続いています。

母が戦争を産み落とし、母が戦争を止めに行く。


人間の知能は増強されました。今や、人工知能は標的を監視するための便利なツールです。難しい問題はより難しくなりました。

私はデモンストレーションをしています。

ライブコーディングでは、書かれるコードを観客に見せることが美徳とされます。

書かれているコードの意味が観客に理解できるかどうかは、些細な問題です。

書かれているコードが指し示す意味は、必ずしも正確に対象を記述しているわけではありません。

例えばここで書いているKickという関数の定義は、ひどく単純化されたモデルです。実際の内容は、精々物に何かが衝突した時に発生する音をモデル化した程度の物です。

プログラムにおける命名は恣意的な物です。

ですから、ここで私がKickをBulletに置き換えたとしても、実行される音に変化はありません。

しかし、Bulletと名付けられた関数定義を書き換えることで、明らかにBulletではない音を作ることは容易です。私にはBulletを破壊する自由があります。

あなたはコードに書かれたアルゴリズムの全てを理解していなくても、私がBulletを破壊したことが理解できます。これが、ライブコーディングにおいてコードを見せることの意味であり、ライブコーディングは態度の問題であるという立場の説明です。


ライブコーディングとはデモンストレーションなのです。

コードは書き換えることができます。

プログラムは作り変えることができます。

計算は中立ではありません。

知能の増幅はスカラーではありません。

私はデモンストレーションをしています。

あなたはデモンストレーションをすることができます。

私と共にデモンストレーションをしてください。

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