第3章 - メタメディアとしてのコンピューター

「まるでサーカスだ」、「芝居じみてる」、「映画じゃあるまいし」などといった、昔ながらの表現、自然主義的な非難の言葉は、もはや問題ではない。シミュレーションの時代には、現実の衛星化、すなわち、昔の現実をいろどっていたさまざまな幻覚とは無関係の、決定不能な現実軌道に乗せることが要求される。(ボードリヤール 1992, p177)

鉄道をコントロールするものが、周囲の領地をコントロールする。 こうしたことは、我々にとって、忘れようもないことがらではある。 しかし、今日、我々が必要としているのは破産宣告を受けた鉄道などではなく、衛星ネットワークである。(ハラウェイ 2017, p490注) # なぜ音楽のためのプログラミング言語を研究するのか

本章では、メディア装置としてのコンピューターの思想と、音楽家のような芸術実践のあり方の関係性の歴史を記述する。序章で触れたように、本研究で音楽のための道具作りの中でPLfMという事例に着目するのは、パーソナルコンピューティングの初期の構想の中ではユーザーのプログラミングによる機能拡張がセットになっていたからだ。しかし今日、コンピューターを用いた音楽を作るための道具を使うにあたり、プログラミングという行為は徐々に普及しつつはあるものの、未だメインストリームからは程遠い状況にある。

もちろん、一般的な音楽制作ソフトウェアでもユーザーによる機能拡張はある程度可能だ。リバーブエフェクトが足りないと思えば、どこかのメーカーからリバーブエフェクトのプラグインを購入してきて、DAWソフトウェアから読み込めばそのソフトウェアの機能は確実に拡張されている。しかしもっと根本的な機能に関して、例えば5拍子と4拍子が混ざったポリリズムの曲を作りたいので、この両方のリズムのクリック音を録音時に別々のヘッドホンから鳴るようにしたいとなれば、それは正規の利用方法では不可能である。DAWソフトウェアの中にはメトロノームは1つしかない。4拍子と5拍子の頭にノートをそれぞれ配置してクリックを鳴らすためのMIDIトラックを作る、と言った応急処置で望む機能を実現できはするが、そもそもメトロノームが2つや3つやに増やせるならばそれに越したことはない。

こうしたソフトウェアの拡張性の概念は、HCI分野におけるEnd-User Development、つまりソフトウェアのユーザー自身がソフトウェアの機能を拡張していく方法の研究において2段階に分類されている。

  1. パラメータ化もしくはカスタマイズ。ユーザーにアプリケーションの中で既に利用可能な幾つかの挙動(もしくは表現やインタラクションの仕組み)を選択することを許容させるような活動。
  2. プログラム作成と変更。ソフトウェアを白紙の状態から作成したり既存のソフトウェアを修正したりすることを目的とした、なんらかの変更を伴うような活動。こうしたアプローチの例としては、例示によるプログラミング(デモンストレーションによるプログラミングとも呼ばれる)〔プログラムの入出力の例を書く事で実装を自動的に生成するような手法〕、ビジュアルプログラミング、マクロ、スクリプト言語などがある。(Lieberman et al. 2016,筆者訳)

つまり現代の音楽制作ソフトウェアには1.のパラメーター化、カスタマイズはできても多くは2.プログラムの機能そのものを変更できないということになる。しかし繰り返しになるが、そもそもの自らの手で機能を拡張できる道具としてのコンピューターの思想で重視されていたのは2.のプログラムそのものを変更できることだった。本研究ではエマーソンによるメディアとしての計算機のメディア考古学的検証(Emerson 2014)を参照しつつ、メディア装置としてのコンピューターの原点である、ゼロックス社PARCで開発されたDynabookの思想を、不完全な形で定着したものという批判的な形で位置付ける。

図 1: メタメディアとしてのコンピューターの歴史の見取り図。

第2章と同様、1960年代から2020年代までの歴史の見取り図を、今度はメディアとしてのコンピューターの思想という視点で図 1に示した。本章で歴史区分のガイドとなるのは、ユビキタス・コンピューティングの概念を提唱したマーク・ワイザーがその概念の説明に用いた、利用者あたりに使えるコンピューターの数(コンピュータ1台あたりのユーザー数)の時代に伴う変化である。低価格化と高性能化に伴って、1人あたりが利用する計算機の数は時代とともに増えていった。1960年代には研究所やオフィスに置かれた巨大な装置を複数のユーザーがシェアして用い1、1980年代以降は家電のように個人が計算機を自宅で手軽に利用し、そして1990年代から今日に至ってはスマートフォンも含めて、私たちは日常的に計算機を複数台利用するようになっている。

しかし一方で、計算機が手軽かつ便利に利用できるようになる過程とは、エマーソンの解釈では計算機がアクセス不可能なブラックボックス化していく過程でもある。

無論、パーソナルコンピューター以降の音楽制作においても、自らが音を生み出す方法を自らの手で作り上げるDIY的アプローチは積極的に行われてきた。とはいえそれらはメタメディアとしての不完全さの結果として、プログラミングによる自己拡張という手段ではなく、ブラックボックス化された音楽に関わるテクノロジーを、誤用などを積極的に用いて開拓する、カスコーンの「失敗の美学」(カスコーン 2005)に代表される態度として現れた。最終的に、テクノロジーの発展は単に技術が高度に積み重なっていくのみならず、インフラストラクチャの力によってテクノロジーの中にアクセスすること自体を遠ざけてしまい、現在はアマチュアリズムを伴った誤用の余地すらも残されていない。

それゆえ、2020年代に音楽家が取ることのできるアプローチとは、ブラックボックス化され、不可視となったインフラストラクチャを自らの手で開き、自らの手で作り上げ進んでいくという方法にしかなり得ない。本章後半ではそうした主張を、音楽を中心とした芸術家やデザイナーの取り組みを参照することで提示する。

3.1 メタメディアとしてのコンピューターの思想

コンピューターはいつ単なる高速計算装置から、様々な表現の形態に対応可能な汎用メディア装置として捉えられるようになったのだろうか?本研究では既存の研究と同様に、ゼロックス社PARC2で開発されたDynabookというシステムをその原点に位置付ける。ただし、それには既存の言説よりもやや踏み込んだ理由づけを必要とする。

なぜなら第4章で詳しく見るように、コンピューターを単に計算装置として用いるのではなく、音楽の生成のために用いる試みは電子計算機のごく初期である1951年にはすでに、イギリスのBINAC、アメリカのUNIVAC I、オーストラリアのCSIRAC(CSIR Mk-I)と、世界各地で行われていたからである。もっとも、これら最初期の試みは、メディア処理のためのシステムを作ったのではなく、デバッグ目的のシステムの流用で可能な範囲の音楽生成の試みであった(田中 2017)

そのため、コンピューターをメディア装置として本格的に用いようとした思想の原点と呼ぶにはやや弱い試みである。では、ハードウェアも含めたシステムであり、あらかじめメディア装置として使うことを目的としたシステムという視点ならどうか。GUIの最初期の例である、ペン型のポインティングデバイスをディスプレイと組み合わせて使用できる、アイバン・サザーランドのSketchPad(Sutherland 1963)はこの意味合いでは最も有名なシステムだ。しかしハードウェアも込みのシステムという意味だとしても、やはり音楽分野においてより早い時期である1957年に、マックス・マシューズらがMUSICという音声合成のためのプログラミング環境を既に完成させている。MUSIC(I)自体はIBM 704という汎用のコンピューター上で動作するシステムではあったが、専用のDACと組み合わせてはじめて成立するシステムだったことを加味すれば、コンピューターをメディア装置として用いる例としてはSketchPadなどと同様に記述されるべき事例だと言える。

このように、コンピューターを取り扱う事例に限らず、メディア論全般に関して、既存の言説が視覚メディア偏重になる傾向には注意を払う必要はある。しかしその上で改めて本研究ではメディア装置としてのコンピューターの思想に大きく影響を与えた原点として、サザーランドの教え子であるケイによって研究されたDynabookを据える。なぜなら、ケイやゴールドバーグは計算機を音声や映像を生成するために限らず、メディアそのものを自ら生み出すことができる装置、メタメディアと捉えることをDynabookの思想の根幹としていたからである。

3.1.1 メタメディアとしてのDynabook

メタメディアとしての計算機の思想が明確に示されたのがケイとゴールドバーグによる1977年の『パーソナル・ダイナミック・メディア』という論文である。ケイらはこの論文で、Dynabookというあらゆる情報–詩、レシピ、レコード、絵、アニメーション、楽譜、波形や物理シミュレーションなどを蓄積する動的な知識の入出力機としての、来たるべき個人が利用する電子計算機のビジョンを提示した(Kay and Goldberg 1977)

Dynabookはその理想的姿として、今日のラップトップやiPadにキーボードのついたような見た目のデザインが提示された。これは当時ケイがブラウン管ではない、プラズマ液晶ディスプレイの研究を知ったことで、将来ディスプレイは板のように薄型化されることへの確信を得たからだという3。しかし当時のコンピューターの処理速度やハードウェアではまだ実現不可能だったため、見た目のデザインはダンボール製のモックアップとして示された。このモックアップと合わせ、動作モデルとしてAltoというディスプレイ、音楽キーボード、タイプライター、マウスなど多様な入出力デバイスを組み合わされた1つの勉強机のような構成のデスクトップコンピューターの上で実行される「暫定版(Interim)」Dynabookが作成された。暫定版DynabookはSmalltalkという対話的手法を得意とするオブジェクト指向のプログラミング言語をシステムの根幹に据え、テキストだけでなく音や画像といったあらゆる種別の入力を処理しリアルタイムでまた何かしらの形式でアウトプットする、しかもそのプログラムをユーザーが作り替えられる、メタメディアとしての電子計算機の利用方法を実現できた。

Dynabookで提示されたメタメディア概念の中核には、あらゆるもののシミュレーションが置かれていた。ケイらが「あらゆるメッセージは、なんらかの意味で、何かの概念のシミュレーションである」と書くように、この思想はメディア論の古典であるマーシャル・マクルーハン(「メディアはメッセージである」)から大きく影響を受けていた。

マクルーハンはその『グーテンベルグの銀河系』のなかで、しばしば新しいメディアは、当初は古いメディアの内容を取り入れる、と指摘し、聖書の写本を例に挙げている。わたしは、FLEXマシン〔ケイらがDynabookよりも前に開発していたシステム〕のような、デスクトップ・パーソナル・コンピュータは、企業や公的機関で使われるメインフレームの時分割利用のあとにくる、『グーテンベルグ聖書』なのだということに気づいた。(ケイ 1992a, p18)

世界中の地点同士の接続により、あらゆるイベントが同時刻的に共有される地球村(Global Village)の概念に代表されるマクルーハンの思想が、今日のインターネットで繋がれたメディア環境を鋭く予見していたことは言うまでもない。しかし実のところその予見は、ムーアの法則が未来予測という形をとって社会への期待を浸透させていた状況(第2章)とよく似て、ケイのようにメディアとしてのコンピューター技術を作り上げてきた研究者たちがマクルーハンの思想に直接的に影響を受けることで実現されてきたという因果逆転の側面も少なくない。

また同時に、この考え方はデザイン・サイエンスの運動に影響を与えたハーバート・サイモンの『システムの科学』における、観察ではなく、モデルを構築して、シミュレーションを行うことによって世界を理解しようというサイバネティクス的思想とも共鳴しているように読める。しかし一方で、ケイはマクルーハンを経由することで当時のサイバネティクスとコンピューター科学の関わりの主戦場であった人工知能研究や、例えば今日におけるデジタルツインの概念のように、現実世界に存在する生物や世界そのものを計算機上に完全再現することともまた違う方向を歩んだ。

ケイはマクルーハンが言うところの、人が道具を作ると同時に、道具がまた人を形作るという関係性に重きを置いていた。加えて、ここには、子どもを対象にしたプログラミングシステム、LOGOを作成した研究者シーモア・パパートの、幼児が成長過程で遊んだり物を作る過程で様々な概念を習得する、構築主義(Constructionism)という思想の影響も大きく関わっている。この思想のサイバネティクス的世界観との違いを大味に説明すれば、サイバネティクスのような思想は「現実世界」に直接対応づけられるような人間の思考上の概念を数学的モデルなどを用いてなるべく近づけるよう努める。しかし構築主義的な世界観では、言語や、あるいは道具の使いかたによって、その人の認知によって観測される「現実世界」の方が変化するのだ。

ケイやゴールドバーグの他に、Smalltalkの開発に関わるPARCの様々な研究者らが、この暫定版Dynabookを用いていくつかのアプリケーションソフトウェアを作成し、中学生程度の年齢を含む幅広い対象に使用してもらう実験を行った。本研究の興味関心に引きつけ、この中で音楽関係のアプリケーションを抜き出すと、今日の楽譜編集ソフトのように、キーボード入力をキャプチャしその後マウスで編集ができる楽譜編集アプリケーションOPUS、鍵盤の入力の取得と再編集が可能な今日のシーケンサーアプリケーションに近いTWANGと呼ばれるシステムや、シンセサイザーの音色編集のアプリケーションが挙げられている。ただしここで注意して読むべきは、まずコンピューターを用いた音声の合成それ自体の取り組みはすでに述べたように1950年代から行われてきていることだ。リアルタイムでの(それも専用のハードウェアに依存せずCPU処理とDACのみでの)音声合成はこの時代としては比較的目新しいと言えるものの、その信号処理は任意にプログラムできるようなものではなく、ちょうどこの時期、スタンフォード大学のコンピューター音楽研究センターCCRMAのチョウニングによって提案されたFM(周波数変調)合成と呼ばれる方式での合成をサンプリングレート13.5kHz、量子化ビット数12bitという精度で、同時に5ボイスまでを制御できるという、ある程度制限されてはいたものだった(Saunders 1977)

また、『パーソナル・ダイナミック・メディア』では「ミュージシャンによってプログラムされた」と見出しが付けられてはいるが、これらの音楽関連のアプリケーションに関しては、他の、例えば花びらの模様を生成的に描画するアプリケーションを14歳の子が自分でプログラムしたという状況とはやや異なる。たとえばTWANGをプログラムしたのはのちのSmalltalkの開発に中心的に関わり続けていたテッド・ケーラーだとされている4。とはいえ、子供ではないにせよプログラミングの非専門家によって作成されたシステムもあった。楽譜キャプチャシステムOPUSを作ったのはクリス・ジェファーズという、コンピューターサイエンティストではなく音楽家かつ教育者だったとされる人物で、OPUSでは今日の類似アプリケーションと比較しても特異な、演奏したノートの強弱からテンポとそのゆらぎを推定した上で改めて音符を配置するという機能を持ちケイたちを驚かせたという(Kay 1993)

実際のところ、ジェファーズのようなプログラミングを専門としない人のアプリケーション開発において、どれほどケイやゴールドバーグによる支援なしに自力でプログラミングが行えていたのかに関しては定かではない。それでも、ひとまずケイらのDynabookを使う上でユーザーが機能をチューニングしていく過程では、与えられたパラメーター化だけでなく、モデル化とシミュレーションの繰り返しから独自のシステムを作り出しており、そこにはSmalltalkというプログラミング言語の存在が欠かせなかったのは間違いない。

と言うよりも、今日直感的に想像するのはもはや難しいが、パーソナルコンピューターが普及する以前はコンピューターを利用することとプログラミングという作業は未だ不可分な作業だった。DynabookにおけるSmalltalkも、今日のmacOSにおけるAppleScriptのような、オペレーティングシステム(OS)の機能を操作できるプログラミング言語というよりは、Smalltalkの実行プログラムそのものが複数のタスクを分割したり、入出力を管理するOSに相当するものだった。

ケイは『パーソナル・ダイナミック・メディア』と同年の1977年、『マイクロエレクトロニクスとパーソナル・コンピュータ』というタイトルの論文で、ムーアの法則による計算機の漸進的価格低下の予測をもとに、1980年代には個人がコンピューターを日常的に利用できるようになることを予見した(Kay 1977)。ケイはサザーランドやエンゲルバート同様、コンピューター利用のためのインターフェースの異なるあり方に着目していたが、特に注目していたのは既存のプログラミング言語の意味論が人間の思考のメンタルモデルからズレていることだった。それまでのプログラミング言語は機械語の構造に倣った上から順番に命令(例えばレジスタ上の数値を足し算する、あるデータを別のメモリへ移動させる、特定のアドレスへジャンプする、など)を実行していく命令型(Imperative)あるいは手続き型(Procedural)的な考え方をベースにしていた。だが命令型のような考え方は、同時に複数のイベントを取り扱うような表現を記述しづらい。Smalltalkで明示的に提示されたオブジェクト指向という考え方は、数値や文字列、図形のようなデータがそれぞれ等しく「オブジェクト」という概念として取り扱われ、お互いにメッセージを送り合うような文法を持っており、これにより並行して発生するイベントを意識することなく扱えるようにすることを大きな問題意識にしていた。

われわれ自身の経験や、プログラミングを教えている他の人たちの経験から、最初に接すコンピュータ言語のスタイルと基本的概念は、初心者のプログラミングに大きな影響を与えるだけでなく、のちのちまで消えない、プログラミングとコンピューターの印象を与えることがわかっている。コンピューターのプログラム方法を学ぶ過程が原因で、こうした特定の見方を初心者の心に植えつけ、問題を認識し、解決するべつの方法を覚えることに対し、拒絶反応を起こさせてしまうこともある。(ケイ 1992b)

つまりケイのパーソナルコンピューティングに対する考え方とは、プログラミング言語の意味論を人間のメンタルモデルにより近い形に設計することによって、コンピューターの初学者に対する内部構造の理解し難さのハードルを一段下げることに重きを置いており5、プログラムを作ることそのものは依然コンピューターを道具として使うことの本質と考えていた。しかし、その後普及するパーソナルコンピューターの概念は、当初のケイによる思想に触発されながらも、ユーザーをプログラミングという複雑で難解な作業から遠ざけることによって、誰もが簡単にコンピューターを使えるようにするという思想へと変化していくことになる。

3.1.2 Macintoshというブラックボックス

エマーソンは、このメタメディアからユーザーフレンドリーなブラックボックスという変遷を決定づけたものとして、アップル初期のコンピューターである、スティーブ・ウォズニアックが中心になって設計したApple II(1977)から、スティーブ・ジョブズが中心となって設計したMacintosh(1984)への変化を位置付ける(Emerson 2014, 1章)

Apple IIからMacintoshで起きた変化とは、一般にコマンドユーザーインターフェース(CUI)からマウスなどを利用するグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)への変化が挙げられ、これによりユーザーはプログラミングという作業を意識することなくコンピューターを利用できるようになったと語られる。一方でエマーソンは、それだけでなく拡張スロットの有無こそがコンピューティングの歴史を方向付ける重要なものだったと主張する。Apple IIに搭載されていた8つの拡張スロットはディスプレイやメモリ、ハードディスクを始めとした様々な機器をユーザーが自由に付け加えることのできる機能だった。しかしこうした拡張機能はオフィス用途のようなタスクの効率化のためだけにコンピューターを用いたい人には不要なものであったし、メーカーごとに異なる拡張スロットの仕様を規格化(Standardization)し統一する、もしくは無くしてしまうことが、民生機器(≒家電)としてのコンピューターの価格を下げるための重要な手段でもあり、ユーザーの混乱を避けることにもつながる。そうして初代Macintoshの拡張ポートは、フロッピーディスク、プリンタ、モデム、マウスの4つだけに限定されることになり、メインメモリの拡張は高額なオプションとする代わりに当時としては、また前身の高機能な代わりに高価格で商業的には成功しなかったLisaという機種と比べて大幅な低価格化に成功した。プログラミングの作業の隠蔽というソフトウェアのレイヤー、拡張ポートの制限というハードウェアのレイヤーにおける2つの隠蔽を行うことによって、Macintoshはその内部を覗くことのできない不可視な箱としてのパーソナルコンピューターの姿を実現したのである6

スティーブ・ジョブスがPARCでのDynabookのデモに強く触発されLisaやMacintoshの設計を行なったことはよく知られている。またケイ自身も、PARCの経営母体であるゼロックス社が、デモを除いた対外的な成果発表を許可しなかったり、ゼロックス社自身からのパーソナルコンピューターの発売に経営陣が踏み切らない中で、1984年にアップル社へ移籍している。ところが結果としてパーソナル・コンピューターの普及を決定づけたMacintoshの存在の中からは、ケイが中心においていたプログラミングという作業がユーザーから遠ざけられたものになってしまったのである。

メディア研究者のレフ・マノヴィッチも同様に、現在の表現のメディウムとしてのコンピューターの思想の原点にはDynabookを置くものの、その特性が現れるには1990年代以降のPerlやPHP、Python、Javascriptといった高レベルのスクリプティングプログラミング言語の登場を待たなくてはならなかったとする。(そしてこうしたユーザーがプログラムを組むことができるの中での、画像や音声といったマルチメディア処理の分野における代表としては、ケイシー・リーアスとベンジャミン・フライによる画像/映像表現のためのプログラミング環境Processingや、音楽においてはMaxやPure Dataを挙げている)(Manovich 2013, p104〜105)。ケイは2019年にQ&A WebサイトQuora上でiPadとDynabookの思想の違いの質問に答え、概ねエマーソンやマノヴィッチと同様の見解を示した。ケイにとってアップルのコンピューターは、例えばアップル社で最初の仕事として行った初代Macintoshの評価にて「語るに足る最初のパーソナル・コンピューター」ではあったものの、「四分の一ガロンのガソリンタンクしかないホンダ」と形容していたように(浜野 1992)、メタメディアの思想の実現からは程遠いものだった。少なくともケイがアップル社を1997年に去ってから13年後に発売されたiPadは、単純にメディア消費を便利にすることに関してはDynabookのメタメディアとしての思想を部分的に実現してたとはいえ、以下の2点において不十分だったとケイは振り返っている。

  1. メタメディアのユーザー自身によるオーサリング
  2. 子どもらの様々なアイデアを実際に作り、そしてそれらを共有することを手助けする環境

特に2.に関してはユーザーがプログラム作成や変更を主体的に行い共有することを禁じられている7、教育のためのカリキュラム開発に資金が投じられていないなどの理由を挙げている。ケイはジョブズがDynabookを「思考の車輪」と称賛した当初のアップルのパーソナルコンピューターに対する思想を、単純な消費主義によって埋没させられてしまった、iPadの見た目はDynabookのモックアップに似ているかもしれないが、その思想は何千倍も貧弱(meager)である、とまで辛辣に批判している(Kay 2019)

3.2 Ubicompとサッチマンの状況論、ギブソンのアフォーダンス

個人の手によって機能を組み替えられるコンピューターの万能性という側面は、単にコンピューターの商業化の流れのみならず、ケイが去った後のPARC自身によっても薄められていくことになる。それが、PARCの研究者マーク・ワイザーによって1990年代に提唱された、ユビキタス・コンピューティング(ubicomp)やカーム・テクノロジーという考え方だ。

ワイザーはケイと同様、ムーアの法則による予測をはじめとした、1980年代の以降のマイクロプロセッサの登場による計算機の物理的な小型化、製造コストの減少などを背景として、コンピューターを利用する環境を以下のような3段階に区別した。

  • 第1段階:研究所などで多人数が1台のコンピューターを共有して使う状況(多人数:1計算機)
  • 第2段階:個人が家庭などでコンピューターを所有できる状況(1人:1計算機)= パーソナルコンピューティング
  • 第3段階:1人が様々な機能を持つ複数の計算機に囲まれて生活するような状況(1人:多計算機)= ユビキタスコンピューティング

ユビキタスコンピューティングは(当時すでにアップル社に移籍していた)ケイによっても「コンピューティングの3番目のパラダイム」と表現されていた8

ワイザーはそのモチベーションを『世界はデスクトップではない〔The World is Not a Desktop〕』という論文で語っている(Weiser 1994)。当時までのコンピューター科学で指向されてきた、知能を持った賢いエージェントとしてのコンピューター(ワイザーの呼び方に従えば、DynabookのようなKnowledge Navigator)という考え方は、彼によればあくまで次のステップへの過渡期的な考え方に過ぎないものだとする。そして将来的には、より小さな機能を持ったコンピューターがあらゆる装置の中へ埋め込まれ、相互に通信し合う事で人間の生活する環境を再構築する、といった世界観を提示した。これは現在におけるモノのインターネット(Internet of Things:IoT)やスマートデバイスのような、低消費電力なハードウェアを様々な場面で利用する考え方の基礎となっている。

ワイザーがUbicompの考え方の基盤として繰り返し強調したのは、「良い道具とは不可視(Invisibile)なものである」という事だ。眼鏡やコンタクトレンズのように、良い道具は使い慣れるほどにその存在を意識することはなくなっていく。文章を書くときにペンについて意識するのはそれのインクが切れたときだし、本を読んでいて紙に意識がいくのはそれが折れ曲がっていたりインクが擦れているときだ。

こうした考え方の背景として、人間をセンサーとアクチュエーター、入出力装置を持った機械と同一視するような認知主義(Cognitivist)的発想からの転換に大きく影響を与えた2つの思想がある。

1つはデザインサイエンス的運動からデザイン思考的運動への変遷にも一役買った文化人類学的観察、特に、ルーシー・サッチマンによる状況的行為(Situated Action)の概念である。Dynabookを生み出したゼロックス社PARCは1979年から2000年までサッチマンを研究者として雇用した。そのフィールドワークの中でサッチマンはコピー機利用補助システムのエスノメソドロジー的会話分析を通じて、機械を利用する人間は、システム設計者のプランどおりの理想的な行動をせず、常に状況に依存してその場その場に応じた判断と行為をしていることを明らかにした(サッチマン 1999)。この研究は第2章で説明したように、製品デザインの過程で、ユーザーのことを社会学的な分析や人類学的な観察を通じて正しく理解することが重要であるという、ユーザー中心的デザイン(UCD)に大きな影響を与え、1980〜2000年代にアップルやインテルなど多くのコンピューター技術に関わる企業が文化人類学者を招き入れる流れにも寄与した。

もう1つはアメリカの知覚心理学者、ジェームズ・ギブソンのアフォーダンス論である。ギブソンもまた、従来の認知心理学の知覚モデルからの転換を図った人物の一人である。ギブソンは、光や音などの外的刺激を目や耳のような感覚器官が受け取り、脳がその刺激を加工することで情報を取り出しているという、刺激-受容器官-中枢という三項関係によってなる間接知覚モデルを否定した。その代わりにギブソンは、環境とそれに意味を見出す動物という二項関係のみによってなる直接知覚モデルを提示した(佐々木 2015)。ギブソンによって提示されたアフォーダンスという概念は、affordという何かを後押ししたり、与えたりする意味合いを持つ単語を名詞化したものであり、ギブソンの理論では環境が動物に与え、提供している意味や価値としての意味合いを持つ。

1つ具体例を、佐々木が用いていた紙の例を借りて説明する。適当に部屋の中を見つかる紙は大抵、それを見たときに破ることが可能だと感じることができる。この時、紙はその人に破りやすさをアフォードしている、と言える。段ボールのような分厚い紙であればそうは知覚されない。一方、握力が非常に強い人であればその人にとってはダンボールでも破りやすさをアフォードしてくれるわけである。このように、環境に存在するアフォーダンスは人によって変化する。 しかしだからといって、そのアフォーダンスは人や生物の中に存在しているとも、人と紙の関係性において発生するともせず、あくまで環境の中に実在していると主張するのがアフォーダンス論の特徴である。例えば、分厚い段ボールでも千切ろうとして様々な方向に捻る向きを工夫したり、手の力の入れ方を工夫したり、あるいはトレーニングで握力を増強し破れるようになったとする。この時、段ボールの破りやすさに関するアフォーダンスは、それまで環境に存在はしていたが知覚されていなかっただけで、様々な素材との対話と試行によりはじめて知覚されるようになった、と考えるのである。

さらに、アフォーダンスの概念はのちに認知心理学者/デザイナーのドナルド・ノーマンが紹介することによって、HCI分野を含むデザイン学の中でポピュラーな概念となった(ただしノーマンのアフォーダンス概念は後で説明するように、ギブソンのアフォーダンス概念とはかなり異なるものだった)。ノーマンに代表されるユーザー中心デザインのような思想(彼の著書のタイトルが『インビジブル・コンピューター』(ノーマン 2009)であったように)に後押しされることによって、PARCのコンピューターの思想の中から、ユーザー自らが機能を拡張できるメタメディア装置という色は段々と薄れていくことになる。

ワイザーは自身の論文で明示的にサッチマンの状況論からの影響を受けていることを表明していたし、直接引用こそしないものの論文内ではアフォーダンスという語を繰り返し用いていた。ワイザーは状況論で明らかにされた、(初期サイバネティクスの指向した)シンプルなモデルにより自律的に思考する機械としてのコンピューターのあり方の困難さを基点にし、コンピューターをエージェント的存在から、アフォーダンスと相性のよい普段知覚されない不可視の環境の一部として捉えるように、コンピューティング技術の方向性の転換を図ったのである。

しかし、現在の技術環境がユビキタス・コンピューティングの理想に近いものかといえばそういうわけでもない。ワイザーが『穏やかな技術(カーム・テクノロジー)時代の到来』という論文で3段階に分けたコンピューター技術環境には、第2段階と第3段階の間に過渡期という段階が挟まっている。これはコンピューターが身の周りには溢れており、それらはインターネットを介して相互接続されているものの、決して不可視な存在ではなく、むしろあらゆるコンピューターがユーザーに通知を垂れ流しているような状況を指している。

24時間キーボードに向かい続け、寝落ちしそうになったまま夜も明けようという午前6時、繊細な技術者にはときに3500万のWebページ、30万のサーバー、9000万人のユーザーが「私を見て!」と叫んでいるのが聞こえてくる。(Weiser and Brown 1997,筆者訳)

これはすなわちワイザーが論文を書いた1996年当時のことを表し9、そして、2014年にメディア研究者のロリ・エマーソンがWifi付きIoT冷蔵庫でTwitterができるような、大半のユビキタス・コンピューティングを謳う製品の馬鹿馬鹿しさを、ワイザーが提示した「テクノロジーに支配されるのではなくテクノロジーを使いこなす」未来ではなく「支配的で、ブランド化されていて退屈なもの」10と表現した頃のことを指している。そして彼が本当のUbicompの時代が到来するだろうと予測していた2005年〜2020年を通り過ぎてしまった現在も、我々はこの過渡期の中を留まり続け、鳴り止むことのないスマートフォンの通知音に苛まれている。

結局のところ、現在のコンピュータの技術環境は、ユーザーフレンドリーなパラメータ選択やカスタマイズこそできるものの、ケイが描いたようなメタメディアとして積極的にユーザーをプログラミングという作業に向かわせることもなく、一方ワイザーが提示したユーザーに意識されず環境へ溶け込むコンピューターの姿も過渡期のままといった中途半端な状況と理解できる。それどころか、ユビキタス・コンピューティングの思想の根幹に置かれた不可視性は、パーソナル・コンピューティングが商業化するにあたり、ユーザーが自由にプログラムをできる可能性を直感的でない面倒なものとして覆い隠すことによって親しみやすくするための正統化の材料として曲解されて利用されてきたとも言える。

3.3 シミュレーションが生み出すハイパーリアルと象徴的貧困

では、この中途半端で不可視化されたコンピューティング環境は音楽の制作や聴取の環境にどのように影響を与えてきたのだろうか。

それは、音楽を制作する側の視点から見れば、想像しうる音ならどんなものでも作れる時代から、想像できる音すら作れなくなっていく時代への変化として表される。どういうことだろうか。この変化は、ケイが道具としてのコンピューターの中心に据えていた概念、シミュレーションと、記号の経済的価値の関係性を考えることで理解しやすくなる。

改めて説明するとケイのメタメディア概念とは、何か現実の道具に対応するものをシミュレーションすることに限らず、プログラミングの作業を通じてより抽象的な記号システムの操作へと発展していく、道具の使用を通じて現実の認識を書き換えていくことによって成り立つのだった。これはコンピューターを使っている当人から見れば現実世界が書き換わったことになるが、その工程を横から観察している人の視点で見てみれば、現実世界の何とも対応しない奇妙なシミュレーションを行なっていることになるだろう。

音楽を例に挙げれば、コンピューターの登場以後、コンピューター音楽の研究分野は常に、「新しい」音を追い求めつつも、それがどこかしら、多くの人が共有する現実世界との接点を持っていなければ誰の目にも何をやろうとしているのかわからない珍奇なものに映ってしまうという矛盾を抱えてきた。

コンピューターの音楽的価値は、本物の楽器に可能なことをきっちり複製できるという能力にあるのではもちろんなく、むしろ、現実の楽器音を包括したうえで、さらにそれを超えた、拡張された音の種類を生み出せることにある。(Mathews and Risset 1969,筆者訳)

バイオリン、ギター、フルート、ピアノが合わさった楽器を想像してみよう。そんなことができるだろうか。もちろん。小粋なシンセサイザープログラムがパソコンキーボードからこれら全ての楽器の音色を生成してくれるだろう。しかし、それは感動的な音楽になるだろうか?実際の音楽家がそれを使うだろうか?もちろん使わないだろう。(ノーマン 2009, p101)

実際には、ノーマンが誰も使わなさそうだと形容するキメラのような楽器は、ノーマンがこの文章を書くよりも前に幾つもその矛盾を抱えたままに開発されてきた。NIME研究では1992年にペリー・R・クックによりトランペットとクラリネットとフルートを合体させたメタ管楽器モデルWhirlwindが開発されていたし、商業的にはヤマハが1993年には物理モデリングシンセサイザーVL1を発売し、リアルな音を出せるという売り文句と並列して、サックスのマウスピースにバイオリンの共鳴体を合体させた音を出せることを宣伝していた[Cook (1992);YAMAHA VL1 Perfect Guide” (1993)]11

現実世界と何にも対応しないシミュレーションとは、すなわちモデルと現実世界の差異の区別をせず、シミュレートされたモデル同士の差異によってしか理解されないということだ。こうした、シミュレーションなどを用いることで現実と対応しない記号が社会に溢れかえる様を、フランスの思想家/経済学者のジャン・ボードリヤールはシミュレーションのシミュラークル(模造品)が生み出すハイパーリアルな社会と形容する(ボードリヤール 1992)

現実的なものの規定は、それに等しい複製の生産が可能なものということだ。〔中略〕この複製過程では、現実は、単に複製可能なものではなく、いつでもすでに複製されてしまったもの、つまり、ハイパー現実なのだ。

それでは、現実と芸術はお互いに吸収しあって、姿を消してしまうのだろうか。そうではない。ハイパー・リアリズムは、現実と芸術を、シミュラークルのレベル—それらを成り立たせている特権と偏見のレベル—で、とりかえることによって、その頂点にまで高められることになる。ハイパー現実は、シミュレーション過程にどっぷりとつかっているからこそ、表象行為を乗り越えているのだ〔中略〕。

〔中略〕したがって、ハイパー・リアリズムの定義は逆転されなければならない。ハイパー現実となったのは、今日では現実そのものの方だ(ボードリヤール 1992, p175〜176)

この、記号が社会の中で循環し続けることは、本研究で音楽のための道具について考えるとき2つの点で問題となってくる。ひとつは、生産だと思っていたものすら消費に還元されてしまうこと。もうひとつは、ケイやマクルーハンの思惑とは逆に、道具によって新しく形作ろうとする世界が全体として画一化されてきてしまうこと-一言で言えば、想像力の困窮だ。

3.3.1 想像できる音(だけ)ならなんでも

シミュレーションが作り出だすハイパーリアルな世界において、生産が消費に還元されることと、表現がだんだんと画一化されゆくことは同時に語る必要がある。

これにはまず、計算機が経済の考え方を大きく変えてしまったことを理解する必要がある。ボードリヤールをはじめとして、あらゆる思想に影響を与えたマルクス経済学は、貨幣や物々交換の時に比較される価値(交換価値)と別に、使用価値という、何かしら製品が生み出されるまでに必要とされた労働力という意味での価値を経済学の中に導入した。ここで、マルクスが試みた経済学における労働と生産の関係性という観点の導入は実は、階差機関/解析機関のような機械式自動計算機の開発で知られるチャールズ・バベッジに影響を受けたものであったことが知られている(Rosenberg 2008)。バベッジは『機械類と製造業の経済について』という論考で、解析機関のような自動計算機が職人による属人化された技能に頼ることのない安定した製品の生産を可能にし、経済や社会全体の構造が変化することを説いた(新戸 1996, p133)。そして、バベッジは機械による労働の非属人化は、これまで労働者に組み入れられなかった女性や子供でも働くことを可能にし、より経済を成長させられるという視点で肯定的に捉えた。マルクスはこの視点を裏返し、労働の非属人化は結果的に人間自身を均質な機械のように扱う新しい形の抑圧になる、と否定的に捉えたのだ。つまり、マルクス経済学とは計算機以後の経済学の先取りでもあった。

ボードリヤールがこの事実を明示的に認識していたかはわからないが、1970年代のシミュレーションという考えで世界を理解しようとするサイバネティクス(≒サイモンの『システムの科学』のような考え方)の席巻を背景に、計算機が経済に与える影響について考える者があらわれるのは必然だった。ボードリヤールは『象徴交換と死』で、直接的な労働時間と結びつかない生産というマルクスの視点に加えて、マクルーハンのメディア論、ウォルター・ベンヤミンの複製芸術論などを接続し、計算機が生み出す象徴(Symbol)、つまり言語に限らない様々な意味作用が経済や社会に与える影響を考察したのである。

マルクス的視点を導入するのであれば、写真やレコードのような複製技術とはすなわち絵を書いたり演奏したりするという労働を代替し、また労働に必要な時間を圧縮する仕組みである。逆に言えば、コンピューティング技術は視覚や聴覚メディアに限らないあらゆるWork(作品/労働)のメタ複製技術である。レコードがその初期にはコンサートホールに置かれて演奏者の代わりにコンサートを成したり、あるいは無声映画の伴奏をしていた音楽家を代替した例を挙げればそれは否定のしようもない。だが、同時にそこで複製されたものは全く同じものというわけでもない。複製技術は英語でReplication TechnologyではなくReproduction Technologyと形容されるように、正確には常に新しい意味を再生産し続ける技術でもある。むしろ逆に、複製技術が作られたからこそ、オリジナルとの差異に対する認識が生まれ、音響技術で言うところの音響的忠実性(Fidelity)にあたる概念が社会的に構築されてきたのである(スターン 2015, 第5章)

レコードが音楽産業を形作りはじめた1900年代初頭、アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザはその音を「缶詰音楽」と形容し、これまでの社会では音楽を演奏することで楽しんでいたような時間さえレコードを聞いたり、自動演奏機械の出す音を聞いたりする受動的な時間に奪われてしまい、アマチュア文化が消滅することを恐れた。しかし現実の図式はスーザの恐れたような、ごく一部の音楽を生産するプロフェッショナルとそのほか大勢の作られた音楽を享受する消費者、というほど単純に進むわけでもなかったし、逆に誰もが「生」の素晴らしい音楽を楽しむような牧歌的社会に進んだわけでもなかった。なぜなら、やがてあらわれたのは缶詰を使って誰も食べたことのない創作料理を作り始める人たちだったからである。写真を使ったコラージュ、誰かがすでに作った曲をサンプリングし、カットアップし、リミックスする-こうした複製技術によって作られたものを新たな素材として生み出される二次的制作物には、もはや忠実性など関係がない。すでに現実世界との対応関係にない記号を素材とした表現の流通-これが、ボードリヤールがいうところのハイパーリアルな社会である。美術批評家の椹木野衣は、ボードリヤールの理論を援用して、こうしたサンプリング文化を現代美術におけるレディメイドやappropriation(流用/盗用)といった、すでにあるものの意味と価値を転換して見せる試みを結び付けシミュレーショニズムと言ったのである(椹木 2001)

しかし、だからといって、シミュレーションやテクノロジー全般が芸術表現のバリエーションを増やし豊かなものにしてきたのだと結論づけるのも早計だ。ボードリヤールの言うハイパーリアル社会はもっと空虚な状態を表している。わたしたちが、誰かが生み出した記号を基にしてしか新しいものを生み出すことができなくなったとしたら。そこで問題になるのは、新しい芸術表現が生み出せるのかとか、芸術表現が良くなるとか、豊かになるとかいうことではない。ハイパーリアル社会の中では、私たちはそうした価値基準すらこれまで作られてきた表現との差異として相対的にしか判断できないからである。

なお深刻なのは、わたしたちがつくるものに自由意志があるのか、もっと直接的に言えば、そこに不均衡な支配構造や権力の偏りが存在していないかと言うことである。言い方を変えれば、生産をしているつもりで実は誰かに仕向けられたような消費しかしていないのではないか、という疑念が出てくるのである。レコードや写真が演奏者や画家の労働を代替する機能を持っているならば、それを用いて新しい音楽や視覚表現を作ろうとするサンプリングやコラージュとは、消費という代替された労働を譲り受ける行為と、新たな生産とを同時に行う両面性を持っていることになる。

この両面性は楽観的に捉えれば、複製と自動化によって生み出された製品と余剰時間を用いて、人々は新しいものを作るようになる、と解釈される。これが、未来学者アルビン・トフラーが1980年に『第三の波』で提示した「プロシューマー(ProducerとConsumerの合成語)」概念に代表される、これまで消費一辺倒だった人たちがテクノロジーによる効率化、民主化の恩恵を受け創作活動を行うようになるという立場である(トフラー 1982)

逆に悲観的な立場では、人々は空いた時間を隙間なく能動的な消費行動で埋めるように仕向けられ、自ら進んで画一化され、管理/制御されに向かう、と解釈される。これが、経済学者のジャック・アタリが『ノイズ』で分析した反復の系と呼ばれる時代のことであり、美術批評家ジョナサン・クレーリーが『24/7』で描いた現代社会の姿である。筆者の立場はどちらかと言えば悲観的なので、こちらに力点を置いて説明していく。

アタリは『ノイズ(Bruits)』で、音楽の社会的流通の変化が、供儀、演奏、反復、作曲という4つの時代(系)に分けられ、音楽の変化はそれに対応する社会や経済構造全体の変化に先んじて起きることを説いた(アタリ 2012)。『ノイズ』の出版された1977年がケイらの『パーソナル・ダイナミック・メディア』やボードリヤールの『象徴交換と死』の時期と重なっているのは偶然ではない。アタリはその前年に出版された『情報とエネルギーの人間科学 ——言葉と道具——(La Parole et L’outil)』で、シャノンの情報理論やサイバネティクスのようなテクノロジーの登場以後の記号が生み出す経済的構造変化の考察を試みており、『ノイズ』は、それを社会における音楽の流通構造の変化という視点で改めて描きなおしたものでもあるからだ。

さらに、科学と技術の進歩によってエネルギー操作と直接むすびつかない労働ポストが出現した結果、労働者はますます意味連関的情報をとりあつかうようになる。なぜなら、労働者は、機械の働きや人間の労働を組織する仕事に従事したり、サーヴィスを生産したりするようになるからである。(アタリ 1983, p86)

アタリが説明する、録音技術の登場により発生した反復の系とは、音楽が直接的に(貨幣と)交換可能な物質的存在となることで、個々の差異を強調しながらも、系自らを生きながらえさせるためにだんだんと内容が画一化していく状態のことである。そしてそれは音楽演奏だけでない、あらゆる労働の複製装置たるコンピューターが普及することで起きる社会変化の予見を意味していた。アタリは反復の系の次に来たるべき時代として、作曲の系という「諸個人が、自分自身のために、意味、使用、それに交換を度外視して楽しむために生産する音楽」の時代が訪れる可能性を議論した。この、作曲の系の音楽とは、そうした音楽の生産を可能にするような経済や社会構造そのものの変革に先んじて現れる、反復の系を生きる人たちにとっての雑音(ノイズ)である。

このアタリの分析は、反復の系がちょうどレコードのループを想起させることもあってか、録音メディア以後の、つまり2000年代にインターネットが普及して以後の音楽のあり方が作曲の系であるという趣旨で繰り返し引用されてきた。つまり悲観的立場な反復の系の反対として、作曲の系を楽観論、すなわちトフラーのプロシューマー概念や、ユーザー生成メディア(UGM)、二次創作などと結びつけるような動きである。音楽学者の増田聡は、Korg社のKAOSSILATORやYAMAHAのTENORI-ONのような2000年代に登場した音楽フレーズ自体を演奏として操作できるような電子楽器を例に挙げ、音楽がデジタル化することによって演奏と聴取–言い換えれば消費と生産の区別がつかなくなるという議論を展開した(増田 2008)。これらTENORI-ONのような楽器の発音ボタンを押す行為と、iPodのようなデジタル音楽プレーヤの再生ボタンを押すと言う行為とは、どちらも物理的にはコンピューターによって音声処理をするデバイスである以上、両者の「Play」の行為にはだんだんと差が無くなっていく。増田はこの「Play」をアタリが作曲の系と呼ぶ時代の到来に位置付けた。

録音メディア空間の中でおこなわれる音楽制作と消費が爛熟するとき、すなわち「反復のレゾー」が極大化したあとには、制作と消費との区別が無意味になるような音楽行為が浮上してくる。つまり、われわれがDS-10やKAOSSILATORなどの操作をとりあえず「演奏」と呼ばざるを得なかったように、アタリはそのような音楽行為を「作曲」という概念で示さざるを得なかった、ということになるだろう。(増田 2008, p20)

アタリのいう作曲の系とは、単にこれまで音楽を聴いていた人が急に作曲を始めるというような意味合いではなく、それに対応する新しい経済や社会構造のことを指す——増田もそのことには注意を払っていた。だからこそ2000年代初頭の音楽のデジタル化の議論における話題の中心だった、UGMやデジタルデータとしての録音音楽よりも、新しいタイプの楽器の演奏を例として挙げたのだ。

しかし電子楽器においてもやはり、貨幣と交換可能な形で流通する以上、サンプリングと同様に、自らの生産の中に誰かが生産したものの消費が内包されている面があり、この事は2000年代に入る前から言及されていた。日本におけるMIDI規格成立過程の研究を行った篠田ミルは、増田の議論とカナダの音楽学者ポール・テベルジュの議論を対比し、「『音楽のデジタル化』とは 一方でそれ以前は特権的なものであった音楽の制作テクノロジーを消費者へと解放していく過程であり、他方で音楽の制作者であるミュージシャンを消費者の一類型として取り込んでいく過程」であったことを強調する。

ミュージシャン達はプリセットされた新たなサウンドを求めて、様々なデジタル楽器を次から次へと買い足していくようになり、そのカタログやレビューメディアとしての役割をミュージシャン雑誌は果たしていくようになる。(中略)もはや、ミュージシャンは楽器をゼロから演奏して音楽制作に勤しむのではなく、デジタル楽器にプリセットされた音色やパターンを駆使して、音楽制作を行っていくようになったのであり、ミュージシャンはそのようなテクノロジーを使って音楽を生産する時に、同時にそのテクノロジーを消費し再生産する存在なのだ。テベルジュによれば、音楽制作のデジタル化とは、このように音楽の生産者たるミュージシャンがある種の消費者として再編成されていく過程であるのだ。(篠田 2018, p7)

それでも、様々なプリセットやシンセサイザー、プラグインなどから自分好みの組み合わせとパラメーターを選び出すことは、十分に他の人と違う唯一無二の表現と繋がっているはずで、それら全てを単なる消費とみなすのかという反論もあり得るだろう。しかし、繰り返しになるがハイパーリアル社会とはカスタマイズ(≒消費者化)という、差異を生み出すことによって全体的に画一した方向へ向かっていく性質を持つのである。

そして、この性質を生み出す一端は、今日における「デザイナー」と「ユーザー」の分離にある。クレーリーは『24/7』でこのユーザーの主体性こそ見せかけのデザインされた差異でしかないことを強調する。

技術的インターフェースの遍在〔The ubiquity〕によって、必然的にユーザーは、ますます流暢になり熟達するために努力するように導かれる。それぞれの特殊なアプリケーションやツールに習熟することは、結果的に、いかなるやりとりや操作の時間をも切れ目なしに削減していくという本来的な機能要求と見事に調和していく。装置は見かけ上、ひっかかりのない扱いや、手際のよさ、自己満足的なノウハウを誘い、テクノロジー資源を効率的に利用して見返りを得ることのできる優れた能力として、他人に印象づけることもできる。個人の巧みさの感覚は、その人がシステムの勝ち組の側にいて、いくらか抜きん出ているというかりそめの確信をもたらす。しかし、結局のところ、全てのユーザーは、時間や実践を等しく奪い取られた交換可能な対象へと平均化されていく。(クレーリー 2015, p74〜75、強調は筆者による)

これがすなわち、テベルジュの著作のタイトルである『Any Sound You Can Imagine』(Theberge 1997)が示唆するところである。つまり、「あなたが想像できる音ならなんでも作れますよ」というシンセサイザーやコンピューター音楽にお決まりの礼賛の言葉は同時に、「あなたが想像できないのならその音は一切作れない」という意味でもある。そして、「あなたが想像できる音」は、反復の系においてはあなたがこれまで聞いてきた音の集合でしかない。

クレーリーの『24/7』で繰り返し用いられる遍在/The ubiquityというワードの登場によって、ここでようやく、前半で議論してきた、失敗した理想としてのメタメディアとユビキタスコンピューティングと音楽の関わりについて考えることができる。それは、Youが複数形になる時–「あなたたちが想像できないのならその音は一切作れない」となる時だ。

3.3.2 認識論的道具としてのコンピューター楽器

想像できる音すら作れなくなっていく過程は、録音音楽自体が流通する過程を、音楽を作る道具自体の社会的流通に置き換えることで理解しやすくなる。なぜなら、楽器を作るデザイナーも、同時にまた何かテクノロジーのユーザーであるからだ。特に、コンピューターは、プログラミングで何か道具を作るときには、別の誰かが書いたライブラリーなどをほぼ不可避的に用いることになるので、誰かにデザインされたテクノロジーのユーザーとならざるを得ない。このデザイナーとユーザーの無限に続く階層関係こそが、コンピューターを用いた道具の性質を形作るのである。

それを楽器の視点で説明したのがマグヌッソンの認識論的道具としてのDMI論である。イギリスの音楽家トール・マグヌッソンは、SuperColliderを用いたライブコーディング環境ixiQuarksの制作などを通じて、コンピューターを用いたデジタル楽器(DMI:Digital Musical Instruments)を特徴付けるものはなにか、つまり、アコースティックな楽器とDMIはどう違うのだろうかというシンプルな問いを哲学や現象学的考察を交えて議論した(Magnusson 2009)

マグヌッソンはDMIの最たる特徴は認識論的道具(Epistemic Tool)であることだという。認識論的道具とは、別の表現では拡張された精神によって使用される、知識のコンベヤーと表現される。なるべく単純に言い直すのであれば、コンピューターという、シンボルを操作する装置を使って楽器を作る以上、その楽器の中にはその文化圏でやりとりされるシンボルが埋め込まれることになるという特徴を表した言葉である。

マグヌッソンが議論の射程に置いたものを整理すると、DMIを使うことと作ることの長い時間の中での社会的行動という視点と、その中で演奏者の主体性はどこに存在するのかという問い、の2つにまとめることができる。

DMIの社会的行動としての分析や、楽器自体を様々な人が参加することで演奏できるようにすることはNIME研究で長年重要な話題の1つである(Jensenius and Lyons 2016, p441)。これは同時期にヨーロッパ(とくにスカンジナビア)圏におけるHCI研究で盛んに議論されていた、参加型デザインの文脈を引き継いだものでもある。それゆえここには、2章で見てきたような、デザインに用いられてきた様々な概念が援用されてきた。特に好まれたのが、ギブソンが提唱し、ノーマンがデザイン分野に紹介したアフォーダンス概念である。例えばアタウ・タナカは、DMIを演奏する時に、楽器が演奏者の音楽的表現を引き出すというアフォーダンスと同時に、それを見る/聴く聴衆との間に音楽を通じた対話的なやりとりを引き起こすアフォーダンスという、2段階のアフォーダンスが存在していると主張するこした。こうした視点によって、楽器のデザインという行為を演奏者–楽器という閉じた系から、演奏者–楽器–聴衆という開かれた系に捉え直したのである(Tanaka 2010)。マグヌッソンもこのタナカの論文で引用されるようにixiを用いたパフォーマンスをアフォーダンスの観点から分析している(Magnusson 2006)

マグヌッソンは、この社会的行動としての楽器演奏をという視点をさらに、演奏者–楽器–聴衆の三者の1度きりの関係とするのではなく、長い時間軸での社会的行動へと拡張して考えた。つまりプログラマやデザイナーが楽器を作る作業の中に、長い時間をかけて(他の人がさらに時間を掛けて開発してきた)ライブラリを用いて開発し、パフォーマンスを繰り返す中で、演奏者と聴衆の間で共通の語彙が形作られていくプロセスがあることに着目したのである。

だがここでマグヌッソンは(特に、センシングなどを用いた参加型の楽器やパフォーマンスなどの)DMIを作ることは社会的行為であると、楽器の役割をより拡張するものとして楽観的に捉えているわけでもない。むしろDMIの制作者は、一見してアコースティック楽器に不可能な自由な音楽制作をしているように見えて、実際には記号的循環の中で形成される社会の文脈に拘束されている、といった否定的ニュアンスを強調している。

アコースティック楽器制作者とは反対に、構築/作曲された(composed)デジタル楽器のデザイナーは、シンボル的デザインを通じアフォーダンスをかたどるため、それゆえ音楽理論のスナップショットを作り音楽文化を時間的に凍結させるのだ。(Magnusson 2009,筆者訳)

この理由は、ボードリヤールのハイパーリアル社会やアタリの反復の系についてすでにした説明で納得できるだろう。ただし、ハイパーリアル社会においてもアコースティック楽器の制作はDMIと違って音楽文化を凍結させないのだろうか?という疑問は残るかもしれない。そこでもう少しDMIとアコースティック楽器の違いについての議論を追いかける。

マグヌッソンは認識論的道具の議論に関して、ラトゥールとカロンによって提唱されたアクターネットワーク理論(Actor-Network Theory:ANT)のような、人間/非人間や生物/非生物の区別を取り払った、アクターと呼ばれる同士が相互に影響を与え合うという視点での技術の歴史観を念頭に置いている。

ANTは、技術が全ての社会の姿を決定づける技術決定論にも、その反発として現れた、人間の思惑全てが社会や科学技術を決定づけるといった強い社会構築主義的な立場からも距離を置いた、自然–社会とそれぞれが与え合う影響のバランスを取る立場にいる(福島 2017)。例えば、楽器は常に製作者が考える出したい音色や、生産コストと需要の兼ね合い、ユーザーテストの結果というような、人間側の都合によってだけ左右されて作られるのだろうか?材料のような物質的な、より端的に言えば自然の中にあるものは作られる楽器の性質に何ひとつ影響を与えないのだろうか?という疑問について考えれば理解しやすくなる。

ANT的価値観の中では、(とくにアコースティックな)楽器は楽器製作者の意図それだけによって構築されるのではない。アコースティック楽器の制作者は木材や金属といった材料を相手にし、その音色や演奏される方法は制作者と素材というエージェント(無生物を含む)との折衝を経て形成されていく。またマグヌッソンはシンセサイザーのような電気楽器であってもやはり電子部品という素材と格闘しながら反復的試作プロセスを繰り返す中でデザインが固まっていくと考えていた。ここでは、例えばオシレーターやフィルターと言った、科学技術の用語やメンタルモデルを組み合わせることで楽器は構築されていくため、素材との対話といった側面はやや落ち着くものの、物理的制約や不確定性は未だ残るとしている。

では、計算機を使った楽器であるDMIはどうなのか。仮にコンピューター技術全般に長けた人であったとしても、その中で音楽を作るためにはプログラミングというシンボルを用いることでしかその挙動を形作ることができない。そこには自ら作るものを想定以上のものへ導くアフォーダンスなど存在していないのではないだろうか?いや、各々のライブラリやプログラミング言語の性質がアフォードする特定の表現はあるのかもしれない。しかし、それは誰かによって作られたアフォーダンスなのである。——果たして、それを本当にアフォーダンスと呼んでしまって良いのだろうか。

すでに少し触れたが、ここでギブソンが認知心理学の分野において導入したアフォーダンスという概念と、それをデザインの分野に援用したノーマンのアフォーダンスの概念がかなり異なることを詳しく説明しなければならない。ノーマン自身、自分の導入した語がギブソンの意味していたものとは別物だと認識し、ギブソンの提唱した本来のものを「真のアフォーダンス」、自らがデザインに応用したものを「知覚されたアフォーダンス」と言い直した[ノーマン (2009),p162]12。さらに後年では明確にアフォーダンスという語を導入したこと自体が失敗だったと話し、「知覚されたアフォーダンス」という名前も「シグニファイア」と新たに名付け直している(ノーマン 2011, p100, p253)

ギブソンの意味するアフォーダンスとは「生態の持つ可能性とモノの持つ可能性との間の関係性であって、それらは存在に気づくか気づかないかには関係なく実世界に存在するもの」(ノーマン 2011, p254) である。一方の知覚されたアフォーダンス(シグニファイア)とは、例えばWebブラウザの縦スクロールバーが上下方向にしか動かないことでこのページが左右にはスクロールできないことを示し、ユーザーの行動を補助する、というものだ。これはプログラマが付けた制約によって生まれた知覚がユーザーの行動をアフォードしているといえる。ノーマンの「知覚されたアフォーダンスは、現実のものよりも約束事に関係することが多い」(ノーマン 2009, p163)という説明と、後の言い換えのシグニファイア(Signifier)とはソシュール言語学におけるシニフィアン(Signifiant:名指すもの)そのものであるように、信号(Signal/Sign)を伝える記号的な、あるいは記号によらずとも何かしらの形式的な仕組みを用いるものだった。

アコースティック楽器を制作する際に楽器製作者は作りたいものを想像して作っているかもしれないが、物理世界で行われる制作は木材や金属、あるいは電子部品といった材料にアフォードされてその材料特有の性質が決定される。一方でコンピューターを用いた楽器をプログラムを組むことで作る際には、誰かが作ったライブラリのAPI–Application Programming Interfaceやプログラミング言語の統語論、意味論に持たせられたシグニファイアに従ってその性質が形作られ、やがて画一化されてしまう。これが、クレーリーとマグヌッソンが双方影響を受けた、フランスの技術哲学者ベルナール・スティグレールが「象徴の貧困」と形容した現象である(スティグレール 2006)

それでは、コンピューターを使った音楽表現には初めから新規性や意義は無かったのだろうか?しかし、例えばDAWでメトロノームが増やせないことを説明したときのようなコンピューターで音楽を作るにあたって付き纏う、自由にプログラムを作ったり作り換えることの困難さは、マグヌッソンの言う認識論的道具としてのDMIの本質的限界よりもずっと手前にある問題のはずだ。

例えばグリッチのような、意図的にデータを壊したり、データの読み出しの規則をわざとおかしなやり方で読み込み、聞いたことのない音を出すようなアプローチは、確かにコンピューターでなければ実現しなかったような表現だ。あらゆる種類のデータが数字の羅列と、その読み出し規則のセットで表現されるコンピューターというメタメディアにおいて、逆説的に読み出し規則を無視しても何かしらのデータとして解釈できてしまうという現象こそコンピューターというメタメディア装置が意図せず備えていた、ギブソンの言うところの真のアフォーダンスであり、それを引き出すことで生まれたアプローチこそグリッチだとも解釈できる。しかし、現代のコンピューターを用いて音楽を作る方法においては、そのような意図されなかった技術の使い方は、もはや想像することができたとしても実現できない。この違いは一体どこから起きるのか?

3.3.3 想像できたとしても作れない音と、インフラストラクチャ

この疑問に答えるための鍵もまたノーマンの文献の中にある。ノーマンはコンピューター1台にあらゆる機能を詰め込み複雑な装置にしていくのではなく、機器に単一の機能を持たせた情報アプライアンス13として使い、その機能を喚起する適切なシグニファイアを設定してやることでユーザーの余計な認知的負荷を下げることが製品のインターフェースデザインにおいて重要なことだと主張してきた。しかしそもそもノーマンがそう主張する理由には、(特にコンピューターを中心とする)テクノロジーがユーザーのニーズ以上に過度に複雑化してしまい、それが根付いてしまった後は変更することが難しいと言う、インフラストラクチャの性質に重点をおいていたからだ。

一度インフラが確立されると、それを変えるのは困難である。新しい方法が優れた結果をもたらすことが明らかであっても、古いやり方がしぶとく残るものだ。それがあまりにも社会の文化に深く埋め込まれ、人々が生活や仕事や遊びで覚えたやり方に深く染み込んでいるために、変化は非常に遅く、時には数十年もかかるからである。(ノーマン 2009, p26)

つまり、技術の中に根付いた(根付いてしまった)文化的要因を変化することが難しいことを受け入れた上で、技術先行の考え方ではなく、ユーザーを取り巻く文化や慣習に着目し、それに基づいた機能を持つ情報アプライアンスを設計していく分野としてのヒューマン・センタード・デザイン(HCD)の重要性を訴えたのである。ところが、ここで我々にとって興味深いのは、ノーマンがインフストラクチャの影響力が大きい情報アプライアンスの中で「最も有効で、広く受け入れられている例」として挙げるのが電子楽器の相互運用のための通信規格、MIDIであることだ。

音楽アプライアンスは、全てのアプライアンス間の情報共有に関する国際標準規格として広く受け入れられたMIDI(Musical Instrument Digital Interdace)の出現によって実際に可能になった。MIDIのおかげで、どんな会社でも他のすべての音楽アプライアンスと自由にやりとりできる新しいアプライアンスを発明することができる。(中略)これにより音楽家は非常に多くの種類の楽器と音作りのための機器を組み合わせて、新しい曲を容易に作り出すことができるようになった。(ノーマン 2009, p73〜74)

MIDIは確かに音楽のデジタル化の過程で大きな功績を残してきた。アメリカを中心としたMIDIの成立過程とその影響を研究したディドゥックは、音楽に関わるテクノロジーやフォーマットが特定の文化への画一化や文化の収奪へ繋がりかねない危うさを認めてはいるものの、MIDIに関しては全面的に音楽の民主化に繋がったものと肯定的に位置付けている(Diduck 2018)。しかし一方日本での規格成立と受容に重点をおいて調査した篠田は、MIDI規格の仕様に賛同し制定へ関与したメーカーを「勝者」に、そこから排除されたメーカーを「敗者」にすることへつながったという、デファクトスタンダード的、排他的性格を持っていたことも指摘している(篠田 2018)

加えて、2000年代初頭にパーソナルコンピューター上でMaxやSuperColliderを用いた音楽制作を行う際の利点として挙げられてきたのはMIDIの有効活用というよりも、MIDIに縛られない表現が可能になったということだった。

MIDIと専用の外部音源、という組み合わせによる既存の楽器のシミュレーション、あるいはサンプリングによる現実世界のメタファーや既成事実のコピーやカットアップではなく、空気の圧力波形その物を産出し、処理するという、ダイレクトな操作の明晰さや柔軟さが、リアルタイム・シンセシスの大きな魅力のひとつである。(久保田 2001, p16)

久保田も同文献中でノーマンが情報アプライアンスの一例としてMIDIが取り上げられていることに触れつつも「ノーマンが考える未来は、音楽制作の現場において、すでに過去のものになりつつある」[前掲,p18脚注]と言及するように、MIDIのような既に存在する音楽文化を埋め込んだ規格ではなく、より抽象化された数値の集まりとしての音楽表現がパーソナルコンピューティングによって主流になる可能性へ期待を示していた。しかし今日の状況を見る限り、MIDIはMIDI2.0のようなアップデートされたプロトコル(MIDI 2.0規格について. 音楽電子事業協会(AMEI)” 2020)の登場により、表現できるデータの解像度などが上がったとは言えど、依然として十二音の文化様式の上に立ったプロトコルの基本形式は変わらず、音楽制作や演奏のためのハードウェア、ソフトウェアにおいて中心的役割を果たしている。

さらに言えば、オルタナティブが提唱されなかったわけではない。例えば1997年にカリフォルニア大学バークレー校の研究所CNMATにより提唱された、MIDIよりも自由にその意味を設計できる、コンピューターやシンセサイザー同士の相互運用を目指して作られたOpen Sound Control(OSC)というオープンな規格(Wright and Freed 1997)がある。OSCは音楽プログラミング環境の中で、とくにコンピューター同士のIPネットワーク間のやりとりに関して重要な役割を果たしたとマグヌッソンが言及する(Magnusson 2019)ように、一定度合い普及はした。しかしながらOSCは、一般的な音楽制作ソフトウェアの中ではせいぜい一部の操作の自動化のためのオプション機能といった位置づけ14にしかなっておらず、MIDIは「すでに過去のものになりつつある」状態のまま生き延び続けている。また第4章で見るように、同時期にはCsoundというPLfMを元にして、MIDIを包括して取り扱えるプロトコルとしてのPLfM(MPEG-Structured Audio)も提案されISO標準規格として制定されたものの、ほとんど普及することは無かった。規格としてOSCは「チャンネル、ノート、オーケストラ、ベロシティのようなモデルを強要せず、音楽的に中立かつより汎用的」(Wright 1998,筆者訳)であり、同様にSAOLもMIDIを包括し完全に置き換え可能なはずが、皮肉なことにノーマン自身が言った「古いやり方がしぶとく残る」状況になっているのだ。ノーマンは以下のように述べ、情報アプライアンスの発展のためにはオープンな標準規格を定義することが重要と主張していた。

情報アプライアンス業界の発展のために最も重要な教訓は、情報交換のためのオープンで汎用の標準を確立することの大切さであろう。われわれが情報を共有するための世界標準を打ち立てることができたときのみ、個々のアプライアンスごとに使われていた特殊なインフラは不要になる。それぞれのアプライアンスはそのニーズにぴったり合うものなら何でも使えるようになる。どの会社もその運営に最も良いインフラを選ぶことができる。情報交換が標準化されさえすれば、他のことは問題ではなくなるのである。(ノーマン 2009, p174)

この考え自体は間違いではなかったにせよ、一見して策定時点ではオープンで十分に相互運用が可能に見える規格だったとしても、数年後や数十年後、のちに気がついたときには社会にとって変更することが難しい足かせになってしまうこともあるという長期的な視点の欠落という点では楽観的すぎたと言えるだろう。

実際、2010年以後(「知覚されたアフォーダンス」を「シグニファイア」と言い換え始めた時期)からノーマンは過度に複雑化するテクノロジーにおいて、ユーザーの認知的負荷を下げるための単純化の指向から、テクノロジーと付き合っていくにあたっては根本的な複雑さ(Complexity)を受け入れつつも、ユーザーや参加者を不必要に混乱(Complication、Confusion)させないようなデザインの方法が必要だと主張を変えるようになる(ノーマン 2011)。その理由には本質的に複雑なもの(例えば航空機のコクピット)はそもそも単純化しようがない、誰かにとって単純なことが他の誰かにとっては複雑かもしれない、ひとつひとつは単純だとしても組み合わせることによって複雑になるケースがあるなどを挙げている。そして、近年では複雑な要因が絡み合い変化させるのに時間がかかる問題(≒意地悪な問題)を常に抱える技術社会システム全般を対象領域とする、Design Xと呼ばれるマニフェストを提唱している(Norman and Stappers 2015)。このマニフェストには人間中心的な製品のデザインを根本的かつ長期的な目線で実現しようとすれば、単なるプロダクトのデザインにとどまらず、ノーマン自身がもともと注目していたインフラストラクチャ自体のデザインを行わなければいけないという意識が顕れている。

3.4 芸術実践者がユーザーにならないための方法はあるのか

少し議論が複雑になってきたので整理する。

まず、コンピューターが企業や研究所を超えて普及する時代を見据えてケイは、自らが構築する現実を作り替えるための装置、メタメディアとしてコンピューターを再定義した。しかしケイに欠けていたのは、メタメディアが同時に労働のメタ複製装置でもあるという、マルクス的観点である。コンピューターが消費社会の中で家電商品として普及するためには、そのカスタマイズ性と画一化の両面を同時遂行する、ユーザーのための親切なデザインが必要であった。それがユーザーからプログラミングという概念を隠蔽したMacintoshだった。その上で、ユビキタスコンピューティングの、良い道具とは不可視の、意識されない道具であるという思想はユーザーをデザイナーからだけでなく、デザインされた道具そのものからも引き離した。ユーザーが意識せず使える道具とはすなわち、ユーザーを意識させることなく便利に使わせる道具としてそこここで遍在するようになったのである。

音楽実践においても、あらゆる音楽制作や聴取の環境からコンピューターを取り除くことが不可能なように、技術を消費するだけのユーザーになることから逃れられないのである。では、自ら積極的にプログラミングなどを用いてただのユーザーにならないよう努力すればいいのだろうか。いや、今やプログラマーでさえも、どこまで行っても何かのテクノロジーのユーザーにしかなり得ない。以下はアタリの『ノイズ』の反復の系における一節である。

楽器はもはや、書かれる前に意図され、考えられた形の音を生産することはできず、意外な形をコントロールすることしかできない。バッハが彼の音楽のためにオルガンを作ったにしても、現代の作曲家はもはやほとんど、彼のコンピュータが生産する音楽の観客でしか無くなってしまった。彼は、制御不能な展開をただ見守るばかりで、自らの衰弱を思い知らされる。

音楽は音楽家をすり抜ける。たとえ、音楽家が、構造を考え、それを、彼らの経験(あるいはむしろそれから離れて)をもちい、曲解された数学からのしばしば誤った借用物によって、理論化していると信じようとも、彼らの役割は、音の生産の予見不可能な展開を誘導するのが精一杯で、とても、しっかりした楽器から生じる予測できる音の組み合わせどころではない。「作曲家はボタンを押すだけのパイロットのようなものになる」。ほとんど有機的な、その歴史、その意義によって音楽自体を生み出す作品。作曲家が、作品のために発明された楽器を往々にしてもたないために、表象することのできないような作品。経済学においてと同様、いや、それに先がけ、音楽は、人間の知識と道具による人間の凌駕の実験となる。もはや生産の発展は組織されず、ただ、良く知られていない法則(音の素材の法則)へと進化を調整しようと苦心するだけだ。生産したいと思うもののテクノロジーを作り出すかわりに、テクノロジーが可能にするものを生産する。(強調は筆者)(アタリ 2012, p199〜200)

アタリが「作曲家はボタンを押すだけのパイロットのようなものになる」と引用しているのは20世紀の作曲家ヤニス・クセナキスの言葉だ15。クセナキスは20世紀の作家の中でも特に高度な数学、特に確率統計的アプローチによって音を操ることで新しい音楽を生み出す試みをしていた作曲家で、後年はUPICという、2次元平面上のドローイングを直接的に音声へと変換するプログラムをCEMAmu(現CCMIX)という研究所と共同で開発していた(クセナキス 2017)

アタリが録音音源による表現の画一化を厳しく批判する文脈で、クセナキスのような次世代の楽器、あるいはより高度な音楽生成システム作り自体を行うとしていたクセナキスの発言を引き合いに出しているのは、技術を主体的に使っているつもりでも、その発想はすでにユーザー的発想に絡めとられているという状況を示すためである。

ではこのような状況下において、芸術家はどう行動すれば良いのか。これが本章の最後の話題である。ここではまず、2000年代初頭のテクノロジーを積極的に使う音楽家の試みを2種類に分けて説明しよう。1つはある種の正統な方法–限られてはいるものの、プログラミングを用いて、ソフトウェア開発自体を作品制作として行うアプローチだ。もう1つは、ある技術を想定されていないような使い方をすることで不可視の装置を脱神秘化する、ベンディング的アプローチである。どちらもコンピューターを用いた新しい音楽のあり方として評価されてきた物でもあるが、ここではどちらの取り組みも記号的循環による消費への回収により失敗したものと捉える。

3.4.1 正統な方法の失敗 - いつか音楽と呼ばれる(はずだった)もの

正統な方法での音楽へのコンピューターの利用–それを象徴づけるのがiPhoneアプリケーションとしての音楽の盛衰だ。iPhoneアプリケーションとしての音楽の代表には、例えばブライアン・イーノがプログラマーのピーター・チルバースと共同で制作したBloom(2008)が挙げられる。Bloomや、その後のReflections(2015)などは、イーノが用意した音素材を基に毎回異なるパターンの音楽を再生し続けるような、レコードやCDのような録音を基本とした音楽では不可能なものだった。

また、Reality Jockey社による、マイクロフォンで取得した環境音や加速度センサーのデータを加工し音楽を作り出す、RjDjというアプリケーションも初期のiPhoneアプリケーションの中で人気を博した。RjDjは音声合成に Dataを利用しており、ユーザーが新しくシーンと呼ばれる音声の生成プログラムを作ることもできた(Brinkmann 2012, p27)。こうした音楽の形は「反応音楽」と呼称され、新しい音楽聴取の形として宣伝され、ユーザーが作ったシーンを販売するためのプラットフォームも作られた(Kincaid 2010)

徳井、永野、金子、城らはイーノの生成音楽アプリやRjDjのような反応音楽アプリの登場を背景として、iPhoneアプリとしての新しい音楽の形を『Audible Realities』というプロジェクトで展開した。そのいくつかの例としては環境音を10秒だけ遅延させて再生するアプリケーションや、iPhoneを持ってジャンプすると、TVゲーム風の効果音が鳴るだけといった非常にシンプルな機能を持つ。徳井らはこうしたミニマムなインタラクションを持つアプリケーションを作ることで、ある種の音楽以前の音制作と聴取のあり方を探求していた。この新しい音との関わりの起点にiPhoneが置かれた理由は、2000年代初頭のラップトップの機器性能向上と同じように、今度は携帯電話のようなモバイル機器でも音声信号処理がリアルタイムで行えるだけの性能を手に入れたことがあった。もう1つは、それまでの携帯電話には存在しなかった、ユーザーが制作したアプリケーションをApp Storeというマーケットプレイスを介して配布、もしくは販売することが可能になった点である。徳井らはイーノやRjDjのような例を含めたこうした取り組みを「いつか音楽と呼ばれるもの」と表現した(徳井, 永野, and 金子 2009)。既に成立している「音楽」の概念に安易に近づこうとしない姿勢は、記号的循環による画一化とは異なり音楽の概念の側を脱構築する試みと言えた。

しかし、徳井は2018年に山口情報芸術センターで開催された「メディアアートの墓」に、様々な意味での死んだ作品を設置するという趣旨の展示『メディアアートの輪廻転生』に『Audible Realities』シリーズのアプリケーションたちを出品(埋葬)している。その出品理由は、「アプリが単機能すぎて、今だったらAppleの審査が通らない」16からだった。実際、App Store現在の審査基準を読むと、そこには不明瞭な定義の「Appらしさ」が確かに要件として記述されている。

特に便利でも、ユニークでも、「Appらしく」もない場合、そのAppをApp Storeで提供することはできません。Appが継続的に楽しめる何らかの価値、または十分な有用性を備えていない場合は、承認されない可能性があります。(App Store Reviewガイドライン 4.2「最低限の機能性」17

「Appらしさ」が一体なんなのかと言えば、「既にAppらしいと思われている既存のAppの和集合的特徴」とでも表現するしかない。発売当初は万人に開かれていたApp Storeはその市場を形成する中で、シンプルで、利潤を生みそうもない蛇足的な物を自ら切り捨てるように成長してきたのである。

そもそもスティーブ・ジョブズは、Macintoshに拡張性とプログラム可能性を重視しなかったように、当初iPhoneに対してもサードパーティ製アプリケーションを許可するつもりが無かったことは知られている18。加えて、iPhoneアプリケーションはiPhoneではなくMacintoshで開発しなくてはならず、その上App Storeに登録するためにはAppleに年会費99ドル(2022年時点)を払ってデベロッパーとして登録する必要がある。こうした意味で、iPhoneアプリケーションはユーザー生成コンテンツの環境としてはかなり制限された箱庭とも言える。

それでもソフトウェアとしての音楽が音の聴取や制作の形を変えると確信して徳井が作ったアプリケーションですら、その機能自体が変化することなくアプリケーションを配信するインフラストラクチャの方針が変化することによって、最終的には墓に入れられてしまった。

また当初は注目を集めたRjDjも、2012年にはアプリケーションの配布を終了した19。その後もReality Jockey社は反応音楽アプリケーションを配布し続けているものの、それらのアプリでユーザーは独自のプログラムを構築できない。音楽家で自作のデバイスを用いた演奏作品や楽器を作ってきたチャールズ・マーティンはRjDjの終了はメディアアートやコンピューター音楽の教育ツールに大きな空白を作ってしまったと評している(Martin 2012)。単にiPhone上でPure Dataを利用するためのアプリケーションとしてはその後にMobMuPlat(Iglesia 2016)やPdParty(Wilcox 2016)のような代替アプリケーションが作られたものの、RjDjの反応音楽というコンセプトのような、音楽聴取の異なる形態の追求という側面が引き継がれることは無かった。

こうした初期iPhoneアプリケーションの試みとその衰退は、正統な方法でコンピューターを用いて異なる音楽文化を作ろうとした試みの失敗を象徴する出来事と言える。

3.4.2 「失敗の美学」の失敗

ソフトウェアとしての音楽という、正統な方法でコンピューターを音楽に用いる方法と対照的なのがベンディング的アプローチである。

ここで用いているベンディング的という語は、サーキットベンディングと呼ばれる音の出る電子楽器の回路を意図的に間違えた配線につなぎ変えたりすることで出音を変化させるようなアプローチや、そこから派生したデータをフォーマットに従わず読み出したり壊すアプローチであるデータベンディングといった語から取っている。「ハッカー的」アプローチと読み替えても大枠は問題ないのだが、この語には技術に深く精通したものがソフトウェアを定められた方法と異なるやり方で改造するような意味合いが込められており、それよりもここでは、時にアマチュアリズムを伴う装置の目的外使用や改造といった意味合いを重視してこの語を用いることにする。

この技術の中身を理解しないままにいじくり回すことで、想定されなかったテクノロジーの使い方を引き出すという態度を、2000年代にデジタル技術を用いて実行したのが、音楽家のキム・カスコーンの『失敗の美学』に代表される、グリッチやポストデジタルと形容された表現である(カスコーン 2005)。グリッチはサーキットベンディングと似て、デジタルデータのフォーマット、つまり読み出し規則を知らないままに読み出したり、もしくはあえて無視して、バイナリの直接編集によりデータを壊すことによって異なる音を作り出すアプローチだ。これは、サーキットベンディング以上に、その背景にあるテクノロジーを前景化させるという側面を持つ。例えば、MP3のような、人間の聴覚をモデル化することによって圧縮する技術をもとに作られたフォーマットのデータを壊せば、そこに現れるノイズはそのフォーマットやデコーダーの特性を異常な形で強調した物として現れるのである。

電子機器は消費経済の中で、定期的な刷新と購入を促進するように、物理的耐久年数とは関係なく互換性がなくなっていくよう更新されていく。例えばコネクタの仕様や、OSのサポート、特定のサーバーに依存するIoT機器などを考えれば分かりやすい。ハーツとパリッカが分析したように20、サーキットベンディングは予め想定されていない、おかしな音の鳴る楽器に変えてしまう使い方をするために、こうした計画的廃用化(Planned Obsolescence)に逆らう側面を持っている。

グリッチを美学的な面から考察したキャレブ・ケリーは、彼がクラックド・メディアと呼ぶグリッチを含めた試みを、ハーツとパリッカの分析同様、日常的実践に基づく商品の単純な消費ではない異なる形態の利用(流用:exploitation)と捉えている。

計画的な生産形態と異なり、クラックド・メディアの利用は「正しい」制作手段の外側にある。こうした生産者たち〔Producers〕は、ほとんどもしくは全くコストかからない形で、いま持っているものや手に入りそうなものを新しい音や新しい作品の制作に用いる。オヴァル21は、グリッチポップの素材サンプリングのために、既に使い込まれ傷がついたCDを借りに町の図書館を利用したのである。

(中略)こうした「巧みな技」〔“clever tricks”〕を用いることで、クラックド・メディアの実践者は自らの道具を日常的な計画的利用から流用してくるのだ。(Kelly 2009, p291〜292、筆者訳)

ケリーはこのような意味合いで、グリッチをアタリの作曲の系的な実践と位置付けた。確かに、増田の分析の対象だった、DMIという予め生産と消費の両方が抱き合わせになっている商品の利用と異なり、グリッチのような想定されていない利用は需要と供給に基づかない新たな形の生産であり、よりアタリの意図した作曲の系本来の意味に近いものと言える。

しかし、グリッチやベンディング的アプローチも記号的循環と画一化のループから完全に抜け出す事はできない。城は徳井らと議論してきた「いつか音楽と呼ばれるもの」の議論を引き継いだ論考で、グリッチが単なるスタイルの1つへと回収されていく過程を以下のように説明した。

しかし、その音があたかも故障や誤作動から生じたように聞こえることから、グリッチとも呼ばれていたこれらの試みは、イマン・モラディがPure-Glitch(自然発生的なデジタルのエラー)と、Glitch-alike(本物のグリッチを模したデジタルの人工物)を対比したように(Moradi 2004)、発生環境としてのデジタルの特性をあらわにするという当初の実験から、プリセットやプラグ・インないしはあらかじめ用意されたサンプルを使ったその結果の模倣へと姿を変化させていった。いみじくもカスコーンが2011年22に記したエッセイで「グリッチはiTunesのジャンルのタグになった」(Cascone 2011)と述べたように、もはやデジタル技術の失敗から音を生み出そうとした「ポスト–デジタル」はソフトウェアの通常の「機能」としての「前景」になってしまった。(城 2021, p567)

さらに言えば、サーキットベンディングやグリッチはどちらも、その異常なテクノロジーの利用を想像さえできれば実行できた時代から、想像できても実行できない時代へと変化しつつある。例えば、コンピューター音楽の権威でもありながらサーキットベンディングのような技術の積極的誤用を紹介し続けてきた作曲家のニコラス・コリンズは、電子回路が効率化と、ユーザーにおかしな使い方をされないよう、親切に機能が集約された1つのICに置き換えられていく変化を次のように嘆いている。

サーキットベンディングは変わりました。Reed Ghazalaがこの単語を作った頃よりも、オモチャ内部の実装密度が高くなり、機能が一つのチップに集約されるようになったことが要因のひとつでしょう。90年代までは、音を鳴らす、ライトを点滅させる、スイッチを読み取るといった機能ごとに個別のICが使われていたので、IC間の配線をいじくりまわす喜びがあったのです。今日のおもちゃは単一の邪悪な黒い物体に全てがコントロールされていて、再配線可能な接続箇所が1つも見つからないことがあります。(中略)今やサーキットベンダーたちは改造可能な中古オモチャを求めて、リサイクルショップやeBayを物色してまわる運命です。(コリンズ 2013, p265)

グリッチに関しても同様である。大抵のモダンなファイルフォーマットにはチェックサムと呼ばれる、データが破損しているかチェックするための仕組みが折り込まれている。その結果起きることは、次のようになる。バイナリエディタを開き適当にデータを破壊して上書き保存する。ファイルを開く。「このファイルは壊れています」と表示されプログラムは終了する。

ベンディング的アプローチの実践者はもはや、テクノロジーの中身を知らないままに誤用することができなくなってしまった。芸術家は今や、失敗することさえも許されないユーザーでいつづけることを強いられているのだ。

3.5 技術の再想像/再創造

アーティストが真っ当にコンピュータを使うことも、想定されない方法で使うことにも限界があるのだとしたらどうすればいいのか。その1つの可能性が、基幹的な技術やインフラストラクチャを自らの手で作り上げてしまうような、ブラックボックスを開くアプローチである。このアプローチは、技術を理解しないまま誤用するベンディングとも異なるが、必ずしもアーティスト自身がプロフェッショナルなテクノロジーを身につけることを要求することともまた少し異なる。プロフェッショナルな技術とは、基本的に分業に基づく業務効率の最適化に基づいて発生する。ベンディング的アプローチのいっときの有効性とは、そうした役割分担を脱解することで、そもそもの最適化の判断基準そのものを突き崩し、プロフェッショナルとは何かを問い直す、ラディカルなアマチュアリズムにあったからだ。

こうしたテクノロジーのブラックボックスを開くような行為の代表例として、デザイナーのトーマス・トウェイツによる『Toaster Project』が挙げられる(トウェイツ 2015)。トウェイツは彼が「近代の消費文化の象徴」と考えるトースターという工業製品を、ゼロからー例えば筐体を構成する鉄を、外装を構成するプラスチックを、電熱線として機能するニッケルのワイヤーを、すべてを自らの手で作り上げ目の前に出現させる。ドロドロに爛れた外装を持つDIYトースターの奇妙な姿には、工業製品が出来上がるまでに詰め込まれている人類の知識の蓄積が逆照射されている。

しかし、そのトースターのデモは結局、作った機械から煙が出ることでパンは焼けずに終了する。さらに作る過程では鉄を生成するために電子レンジを(アブノーマルな使い方であるとはいえ)用いているし、プラスチックの原材料には廃棄された工業製品を(ある種の人間が捨てたものももはや自然の一部であるという人新世的な問題意識と重ね合わせることによって)用いているし、ニッケルワイヤーはeBayで売られていた記念硬貨を溶かして作られている。高度に洗練された工業製品を自らの手で作るにあたって、その工業製品溢れる文化の結果存在している材料や道具に依存するという、一見矛盾した状況を、手間やコストの理由から半ば強制的に受け入れることになっている。また何よりトウェイツは、トースターを作るとなった時に、では火でパンをあぶる事はトースターで焼いたことになるのだろうか?というトースターの存在論を突きつけられることになる。

久保田はこの『Toaster Project』を、「DIYを突き詰めていくと、それはやがてラディカリズムに至る。ラディカルとは、根本的、徹底的という意味であり、ラディカリズムとは、今のやり方を根本から見直すための行動でもある。」という、ラディカルなDIYとして評価しつつも、同時に、「ある一時の熱中によって、半ば奇跡的に現れたとしても、すぐに消え去ってしまうような儚いものである。」という一過性にも触れている(久保田 2020)

確かに、トウェイツのプロジェクトは、後から映像や書籍のようなドキュメントとして記録されることを前提としたパフォーマティヴな実践という側面もある23。トウェイツのトースターやその制作過程を見ることを通じて、確かに私たちはトースターの背後にある技術の蓄積を実感はできるかもしれないが、それを見た人がトースターを自らの手で作れるようになるわけではない(むしろ遠ざかってしまうかもしれない)し、未来の工業製品の作られ方にどれほどインパクトを与えられているかは疑わしくもある。

実際、このような、一見高度そうなテクノロジーを自らの手でゼロから作ってみる、というプロジェクトはもはやデザイナーを自覚する者に限らずとも多数実行されている。例えばYoutubeでの動画投稿を中心に活動するメイカーのサム・ゼルーフは、これまでパーソナル・ファブリケーションの動向が加速しながらも、個人が作ることはほぼ不可能だと思われていた集積回路(IC)をガレージ程度の規模で実現する方法を追求し、1200個のトランジスタを埋め込むチップを作り上げてしまっている(Zeloof 2021)。同様に日本のメイカーであるゆな でぃじっく、またアメリカのダリボア・ファーニーはすでに商用製品としては時代遅れとされ生産されなくなった、冷陰極管の仕組みを用いて数字や文字を表示するデバイスのニキシー管を、個人で作る方法をそれぞれ継続的に研究し安定した生産を行えるまでに技術を高めており、その様子をYoutubeに投稿している(でぃじっく 2021; Farny n.d.)

ゼルーフ、でぃじっく、ファーニーの取り組みは共にデザインとしての取り組みというよりも、個人のエンジニアリング的興味を突き詰めた結果に過ぎないが、彼らがブログに残した足跡を辿ることで(金銭、設備のコストを度外視すれば)ある程度は再現することも可能になっている。彼らの残した動画やブログ記事は、トウェイツが提示するのと同様の(あるいはそれ以上の)、大量消費社会のなかでトップダウンに時代遅れなものと決め付けられるテクノロジー、ブラックボックス化されたテクノロジーを自らの手に取り戻せるという強いメッセージを発している。そこに存在するのはもはやパフォーマンスではない現実そのもので、What-Ifを提示して議論を引き起こしている時間があったらそのIfの中へ突き進んでしまえばいいという説得力がある。

このように、制作者自身が技術を理解した上で改めて批評的視点を持つのであれば、ベンディング的アプローチにもまだ活動の余地がある。例えばUCNVによる『The Art of PNG Glitch』がそのいい例だ。

『The Art of PNG Glitch』24は画像データの可逆圧縮フォーマットの1つであるPNGファイルのグリッチ技法をまとめた技術文書である。画像のグリッチは、最も簡単な方法では、バイナリデータをそのまま編集できるエディタで開き、適当な部分のデータを書き換えたり、入れ替えたり削除することで成される。しかしこの方法は、JPEGフォーマットでは機能する一方、PNGフォーマットでは機能しない。PNGにはチェックサムと呼ばれる画像データが壊れているかどうかを判定するためのフラグが含まれているため、適当にデータを壊すとこのチェックサムの機能によってシステムからは「画像が壊れている」と判断され表示できなくなるからだ。そこでUCNVはグリッチさせた後のデータに改めてチェックサムを付加するような、Ruby言語で書かれたPNGグリッチ専用ライブラリを作成し、そのライブラリを用いたPNGフォーマットが生み出す多様なグリッチのバリエーションを例示したドキュメントを作成したのだ。

UCNVは論考『グリッチアート試論』で、「グリッチ」と「グリッチアート」を明示的に区別する。半ば偶発的に発生し、発見された「グリッチ」が、プログラマたちにより再現可能、永続可能なことが示されることで「再現性をもった事故」へと変質され、その一見矛盾めいた状態が「グリッチアート」を支えるものになると分析した(UCNV 2020)。ローサ・メンクマン、アントニオ・ロバーツ、ベンジャミン・バーグといったグリッチを扱ってきた作家らには、グリッチという事故を単に表象として扱うだけではなく、それに再現性を持たせる制作プロセスの理解を通じてはじめて作品の受容が達成されるという態度があるとUCNVは言う。

UCNVのこうした分析は「グリッチアート」という名付けとは裏腹に、自らや他のグリッチアートを実践してきたものたちの行動を安易に芸術というカテゴリに納めないよう注意が払われている。UCNVによれば『The Art of PNG Glitch』は「技術文書を模した芸術作品という意図で作成された」ものだという。ここで重要なのは技術文書という形式の換骨奪胎が意図されているわけではなく、本当に技術文書としても機能しているということだ。グリッチの方法論そのものの共有を行うという過程で、その表象に興味を持った者が実際にライブラリを使ったり、もしくはPNGの仕様のような、技術的な目的でドキュメントやライブラリを手にしたものがグリッチという表象にも興味を持つかもしれない。「技術書を模す」という自己言及的な表現によって、ただの技術書は既存の表現者/技術者という暗黙のカテゴリを掻き回す存在として機能するのだ。

3.5.0.1 Hundred Rabbits

最後に、PLfMともまたがる領域でこうしたブラックボックスを開く制作行動を行う者として、Hundred Rabbitsの活動に言及しておこう。Hundred Rabbits(以下、100R)はイラストレーター、ライターのレッカ・ベラムとミュージシャン、プログラマーのディバイン・ル・リンベガのユニットである。彼/彼女らは帆船で(日本を含む)世界中を旅しながら様々なソフトウェアを作り続けている。

100Rは生成的音楽シーケンスを作るためのソフトウェアORCΛを2018年にリリースしている(Handred Rabbits 2018)。この言語は難解プログラミング言語(Esoteric Language:わざと読んだり理解することが難しくなるように作られた言語)の中でも有名な、Befungeという言語にインスパイアされている25。Befungeは、チューリングマシンのような1次元のテープ状のメモリからデータや命令を読み込み、実行し、テープに書き戻すというような仮想機械モデルを1次元から2次元平面に拡張した、チューリング完全26なプログラミング言語である。ORCΛも似たように2次元のグリッドにデータと命令を配置してグラフィカルに、かつ複雑な音楽のシーケンスを作ることができる。

ORCΛをはじめとした100Rのソフトウェアは、彼/彼女らがもともとWeb関連の仕事をしていたこともあり、Electron27という、Webアプリケーションを各OSで動作するスタンドアロンアプリケーションとして動作させることが可能なプラットフォームを用いて構築されていた。しかしElectronは配布の簡単さに対して、最小限に部品を削ってはいるもののWebブラウザを丸ごとアプリケーションに格納するような方式をとるため、アプリケーションのデータサイズやエネルギー消費が必然的に大きくなる。ここで世界中を帆船で旅する100Rにとって、(例えばニュージーランドで大都市近郊に行けたとしても)電源はソーラー発電のバッテリーに大きく頼っており、ソフトウェアのエネルギー消費は実用上の問題となっていた。またポリネシアのようなインターネットの回線速度が限られる中でXCodeやPhotoshopのようなプロフェッショナル向けソフトウェアのアップデートが10GBのようなデータサイズでやってくることも問題となった。そして彼/彼女らはこのようなコンピューター自体が大量消費文化を前提としてしまっていること自体を見直すべく、自らの使うコンピューターをRaspberryPi28のようなオープンソースかつ低消費電力なデバイスに切り替え、ORCΛをはじめとした彼らが作ってきたソフトウェアや、彼らのWebサイトを生成するためのプログラムまでを可能な限り単純なエコシステムで動作させるべく、C言語で書き直すことをはじめた(HundredRabbits 2021)

そして100Rはのちに、Nintendo Entertainment System(NES29)に用いられた6502というCPU向けのアセンブリ言語を勉強し、Uxnと呼ばれる最小限の要素(仮想機械、アセンブリ言語、オーディオやグラフィックスなどの各種ドライバ)で構成された独自のソフトウェアエコシステムを作りはじめている。Uxnはもともと、自分たちのソフトウェアを自分たちでホストするためのプラットフォーム作りという意味合いを大きく持っていた。しかし、その仕様を公開した結果、現在はWebブラウザをはじめ、ESP32のようなモダンなマイクロコントローラ、さらにNintendo DSやゲームボーイアドバンスのようなレトロゲーム機の上で動作させるバックエンドが有志によって作られはじめている30

100Rのプロジェクトにおける、技術を誰がControl(管理=制御)するのかという問いや、技術の副作用としての環境負荷の問題は、帆船の旅による(かなり字義通りの意味での)ノマディックな生活に実体験として硬く結びついている。その体験をがあるからこそ彼/彼女らは自らの道具を、自らのために、自ら技術を理解し、自ら実装することで異なる技術の使い方を実践している。その上で、その姿勢やプロセスを公開することで結果的に多くの人間を巻き込みはじめてもいる。

この点では、深く隠蔽された技術を自ら実装することによって理解し、実際に機能し、大企業の作るソフトウェアにはない価値を提示しユーザー(あるいは協力者)を巻き込んでいる100Rの実践は、トウェイツのパフォーマティブな実践からさらに一歩踏み出したものだと言えるだろう。また、単にテクノロジーを制作に応用するのではなく、自らの制作のために、また制作一部として基礎的なテクノロジーを構築する姿勢はUCNVのいうグリッチアートの根本的思想にも共通するところがある。31

3.6 小括

本章では、まずコンピューターをユーザー自身の手で機能を組み替えられるメタメディアとして使う思想である、ケイやゴールドバーグによるDynabookという源流を紹介した。ユーザーが自由にコンピューターの機能を組み換えられることがそもそもなぜ重要なのか、という問いには、ユーザーが自らの世界の境界面:インターフェースを自らの手で作ることによって、自らの生きる世界の言語体系そのものを構築する主体性を獲得できるというマクルーハンの思想が背景にあった。そして計算機は既存の物理的道具よりも、シミュレーションという本質的機能によってそのサイクルを加速できる、まさにスティーブ・ジョブズが評価した「思考の車輪」たる部分にあった。

ところが、ユーザー自身によるプログラミングという要素は、パーソナルコンピューティングの次の波として位置付けられたユビキタス・コンピューティングの根幹にある、コンピューターを不可視にするべきという思想と、商品としてのPC普及の過程における拡張入出力の規格化という要素によって薄められてしまうという結果を生んだ。コンピューターとインターネットの登場は、確かにトフラーの予期したプロシューマーのような、消費者がコンテンツを作り始めることでマスメディア主導の一方向的メディア環境を大きく変えることには繋がったかもしれない。しかしそれは同時に、これまで自らが自らのための楽器演奏などを行っていた人までもを単なる消費者へと転化してしまう過程であり、アタリが予期した作曲の系からはむしろ遠ざかるものでさえあった。

アラン・ケイの言葉として最も有名な「未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことである」という発言があるが、この言葉は自社からパーソナルコンピューターを発売することを渋り続けるゼロックス社の経営陣に対して発された言葉である。メタメディア性を不完全なまま引きずり続けるパーソナルコンピューターの現状と照らし合わせると、この言葉はむしろ単に発明したとてそれが社会に自動的に実装されるわけではないという、テクノロジー開発の困難を象徴する言葉として読むことができる。

この不完全なパーソナルコンピューティングという状況は、音楽を含め、コンピューターという新しい技術を用いて新しい表現を探求するアーティストたちのアプローチをベンディング的アプローチへと導くことになった。しかしそれらのベンディング的態度には、特に音を用いた表現という分野においては、その中身をわからないままにいじくり回すことで異なる表現を生み出す、サーキットベンディングや失敗の美学に代表されるアマチュアリズムが中心に位置づけられていた。それゆえに、需要と供給のループのもとトップダウン的に形成されたインフラストラクチャの中では、そもそもの技術へのアクセス手段を失ってしまうことで機能不全に陥っている。

このアクセス不可能性へ立ち向かう態度として、自らが技術を深く理解した上でパフォーマティブに見せるトウェイツのプロジェクトや、鑑賞者にとっての単なる視覚的表象から技術者の視点へと引き寄せるというUCNVの啓蒙的グリッチアート概念、自らのための道具を自らの手で作りながらそれを媒介にコミュニティを作りはじめてしまう100Rのような異なる態度を紹介した。

音楽のためのプログラミング言語を作るという行為は今日、音楽家が意識的にコンピューターを用いた音楽制作をする実践として、単にソフトウェアを作るだけでも、単に既存のソフトウェアやツールのベンディングでも袋小路になってしまう状況において可能な数少ない主体的行動の1つとして位置付けられよう。そして、それはその道具を使って何か新しい表現を生んだりすることに大きな価値があるのではない。音楽のために、そのためのプログラミング言語を自ら作るというメタ性こそがメタメディア的環境を実現するための第一歩であり表現者の主体性を取り戻すことに意味があるのだ。それこそ、どんな行動も消費へと回収されかねない反復の系から作曲の系へ向かうための、舗装されてない抜け道なのである。

Brinkmann, Peter. 2012. Making Musical Apps: Real-Time Audio Synthesis on Android and iOS (English Edition). O’Reilly Media.
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  1. こうした利用法はタイムシェアリングと呼ばれ、今日のOSにおける複数タスクを時分割し並行処理するシステムの基礎となった。(Walden and Vleck 2011)などを参照。↩︎

  2. Palo Alto Research Center–ゼロックス社を母体とする、シリコンバレーに存在する研究所。↩︎

  3. ケイはビジョンを提示するためにスケッチをよく描いているが、Dynabookの前に取り組んでいたFLEXにおけるパーソナルコンピューターの未来の姿のスケッチでは、未だブラウン管式ディスプレイを思わせる奥行きのあるデザインになっていた。↩︎

  4. ヒルツィックによるPARCのメンバーらへのインタビューをもとに構成された書籍『DEALERS OF LIGHTNING』においては中学生程度の学生が簡易的な(Junior)バージョンのTwangや回路図描画プログラムを作っていたとの記述がある(Hiltzik 2000, p223)↩︎

  5. もっとも、ケイは言語習得の過程における脱中心的な変化をよく理解していたように見えつつも、「今のプログラミング言語はピジン英語なのです。シェイクスピアが執筆に使ってもおかしくないメディアのことを教育しようというのに、南太平洋のピジン英語を使うしかないというわけです。いかなるレトリックをもってしても、救いようがないでしょう。」とのエスノセントリズムを感じさせる発言もしていることは付しておく必要がある(ケイ 1992c)↩︎

  6. ただ、この後スティーブ・ジョブズは一度Apple社を去ることになり、その後1987年に発売されたMacintosh IIではディスプレイと本体が分かれ、新たにNuBusという汎用拡張スロットが備えられるようになる。第4章で触れるように、現在のProToolsの前身である音声編集ソフトウェアSoundToolsは、このNuBusスロット向けの拡張DSPボードであるSound Acceleratorと組み合わせることではじめてリアルタイム動作を実現した。↩︎

  7. macOS、iOS、iPadOSではユーザーが作ったアプリケーションをApp Storeで配布するためのセキュリティ公証のプロセスやストアによる審査が年々複雑化している。特に、iOSやiPadOSでは(近年ようやくiPadOS上でアプリケーション開発のための統合開発環境XCodeが配布されようとしているものの)そのマシン上でネイティブアプリケーションプログラムは開発できず、Macintoshを利用して開発をする必要がある。↩︎

  8. もっともこのケイの発言はワイザーによるUbicompについて説明したWebサイトに乗っている言葉(Weiser 1996)であり、ケイの論文や公の発言には残されていない。↩︎

  9. 付け加えれば、第2章で紹介したダンとゲイバーが『The Pillow』で警鐘を鳴らしたように、電磁波を発するデバイスが生活の中に氾濫することが危惧されていた時代でもある。余談だが、今日のスマートフォンの通知音の原点とも言える、デスクトップコンピューティング環境におけるサウンドエフェクトの利用をAuditory Iconという形で初めて提示したのは1980年代アップルに所属していたウィリアム・ゲイバーその人である(Gaver 1986)↩︎

  10. (Emerson 2014, 1章2節6段落目、筆者訳。)↩︎

  11. 筆者が過去に物理モデリングシンセサイザーの再物理化をテーマに作ったサウンドインスタレーション『Aphysical Unmodeling Instrument』の解説も参照(松浦 and 城 2017; Matsuura and Jo 2018; 松浦 2019, 第2章)↩︎

  12. この区別は有名なので、タナカの文献でも明確に区別されている。↩︎

  13. 日本語で言う家電は英語でElectric Appliance:つまり電気の応用物というような言い方をされるが、ノーマンはこれに倣い家電のような特定の機能や目的を持っているコンピューターを用いた装置全般のことをInformation Appliance:情報アプライアンスと呼ぶ。音楽においてはコンピューターやマイクロコントローラを用いて信号を生成したり処理するようなシンセサイザーもこの情報アプライアンスの一類型として位置付けられる。↩︎

  14. 例えばReaperではパラメータの制御にOSCを利用できる。↩︎

  15. 「作曲家は退屈な計算から解放されて,この新たな音楽の形が投げかける一般的な問題に没頭し,さらに入力データの値をいじるなどしてこの音楽形態の詳細な調査に専念することができる.たとえば,ソリストや室内オーケストラから大オーケストラまでのありとあらゆる楽器の組み合わせを試してみるのもよいだろう.電子頭脳という助っ人を得たことで,作曲家はいわば飛行士となる.ボタンを押し,座標を入力して,音の空間を航行する宇宙船を監督,制御し,以前は遠い夢でしかなく覗き見るだけだった音の星座や銀河を抜けて、さらに前に進むことができる.今や安楽椅子に座ったままで星座や銀河を自在に探検することが可能なのである.」(クセナキス 2017, p171)↩︎

  16. 徳井の出展作品について具体的な記録が残っていないが、企画に先立って行われた出典作家を含むアーティストへのインタビューで、墓に入れるのであれば『Audible Realities』シリーズであることを語っている(徳井 2018)↩︎

  17. https://developer.apple.com/jp/app-store/review/guidelines/#minimum-functionality 2022年2月6日最終閲覧。↩︎

  18. https://9to5mac.com/2011/10/21/jobs-original-vision-for-the-iphone-no-third-party-native-apps/ 2022年1月5日最終閲覧。↩︎

  19. https://web.archive.org/web/20130126021852/http://blog.rjdj.me/more-than-an-app 2022年1月26日最終閲覧。↩︎

  20. (Hertz and Parikka 2012)第2章も参照。↩︎

  21. Oval(マーカス・ポップ)はCDに傷を付け意図的に間違った読み出しによるノイズを発生させるアプローチを行ったことで知られる音楽家。ovalprocessと呼ばれる、ソフトウェアとしての音楽に取り組んだ作家としても知られる。↩︎

  22. 原文では2014年となっていたが誤記と思われるため修正している。↩︎

  23. 実際、トウェイツはこのプロジェクトの後に、『GoatMan Project』という、自らがヤギと同じような歩き方ができる歩行具を作り実際に生活する、よりパフォーマティヴなプロジェクトを行ってもいる。↩︎

  24. 「The Art of X」は慣用句的に技術やコツといった意味を持つ(例えばThe Art of Warと言えば兵法、戦術のように)。似た例として「最先端技術」は「State of the Art」と訳される。↩︎

  25. https://esolangs.org/wiki/Befunge↩︎

  26. ある機械がチューリングマシンと同等の計算能力を持つ≒メモリが無限にあればあらゆる種類の計算がその言語上で記述できるという状態をチューリング完全と呼ぶ。↩︎

  27. https://www.electronjs.org/ 2022年2月7日最終閲覧。↩︎

  28. Raspberry Pi財団が中心となり発売されている、オープンソース・ハードウェアの低価格なシングルボードコンピュータ。もともとはコンピューターを用いた教育目的で立ち上がったプロジェクトだが、現在は産業、商業プロダクトのメインボードとして利用されることも珍しくない。音楽の分野では、monomeのNornやCritter&GuitariのOrganelleのようなプログラマブル電子楽器や、電子音楽家のGo Hiyamaを中心とするエコーズブレスのAISOという音楽家が作る生成的BGMのためのプラットフォームに使われている。https://monome.org/docs/norns/ https://www.critterandguitari.com/organelle https://aiso.ooo/ いずれも2022年2月7日最終閲覧。↩︎

  29. 任天堂が日本国外で発売した、ファミリーコンピュータ(ファミコン)のマイナーアップデート版とも言えるゲーム機。海外においてファミコンのエミュレーター(コンピューターソフトウェアとしてゲーム機のハードウェアを再現するもの)としてはこのNESのエミュレーターが主流である。↩︎

  30. https://github.com/asiekierka/uxnds https://github.com/max22-/uxn-esp32 https://git.badd10de.dev/uxngba いずれも2022年2月7日最終閲覧。↩︎

  31. なお彼らの活動がアカデミックな研究から参照されることはこれまで少なかったものの、電子楽器や音楽のインターフェースに関する国際会議NIMEの2022年のキーノートに100Rが招かれる予定になっており、緩やかにだが接続を見せはじめている。 https://nime2022.org/↩︎