先日、韓国に行く機会があり帰りがけにナムジュン・パイク・アートセンターに行ってきました。行った時にはTwitterにパラっと上げておしまいでいいかなと思ってたのですがその後色々考えることがあったので短いレポートのような感じにしてみました。
ナムジュン・パイクについて
ナムジュン・パイクは「ビデオアートの父」として知られるアーティストです。韓国に生まれますが高校〜大学を日本で過ごし現代音楽を学ぶために渡欧し、世界初のビデオアートを制作します。ビデオアート以外にもアートロボット、世界中で同時多発的にパフォーマンスを行うサテライトアートなど現在のニューメディアアートの源流とも言える作品を多数制作しています。昨年は没後10年ということもありワタリウム美術館で大規模なアーカイブ展示が行われました。
Nam June Jaik 没後10年 2020年笑っているのは誰?+?=??
ナムジュン・パイク・アートセンター
ナムジュン・パイク・アートセンター(略称NJPAC)はソウルから電車で35分ほど南に行った都市、スウォンから更に15分ほど地下鉄で東に向かった場所にあります。
センターのある道はナムジュン・パイクロードと名付けられていた
設立は2008年。**「ナムジュン・パイクの精神が生き続ける場所」**をミッションに掲げ、
- パイクのコレクション作品を様々なキュレーションで展示
- 現代のアートコンテキストに合わせた様々な展示の企画
- 作品の収集、保存
- ワークショップ、トーク、セミナーなどの幅広い教育プログラムの企画と実施
- 作品の研究とそれをまとめた冊子の出版
などの活動をしています。
Mission/MI ― Nam June Pike Art Center(英語)
入り口の写真。この左に本来のエントランスである回転扉が有るのだが、壊れていて右側を使ってくれと書いてあるのが分からなくてしばらく回転扉と格闘
企画展 “Extraordinary Phenomenon”
自分が行った時には “Extraordinary Phenomenon” というタイトルの企画展をやっていました。てっきりずっと同じ常設展示+小さく特集企画展示的な構成かと思っていましたが、パイクのコレクション作品も近年はおよそ半年ペースで総入れ替えしながら展示をしているみたいです。
入場はなんと無料。写真撮影もフラッシュ/ビデオ以外はオッケーとのことで沢山写真を撮ったのですが、きちんと記事にまとめることまで考えてなかったので引きの絵を全然撮ってなかったり結構暗かったのでPCで見てみたらブレブレだったりしてちょっと後悔。
この展示の主旨はパイクを参加/Participationの観点から読み解いてみるもののようでした。これは参加型アート・アートプロジェクトといったものが近年盛んに議論されていることへの応答で、アーカイブでありながら現代のアートの議論に積極的に突っ込んでいく姿勢が見られます。
入り口では全体のステートメントが載ったパンフレットと、その入れ物(色がいい)が渡され、各展示場所に掛けられている作品解説を自主的に集めていくような構成になっていました。これ、結構コスト的にも冊子にするより安いし観客に能動的に読んでいってもらえるし中々いいアイデアだな…と感心しました。
展示の構成は
- New ontology of Music:音楽の在り方への不満を綴った文章(エッセイ?)とそれに関連する資料群
- Paik-Abe Video Synthesizer:エンジニアの阿部修也とともに作ったビデオシンセサイザー(日本では2014年にICCで阿部による再制作が展示されている)
- Experimental TV:ブラウン管TVの映像を磁力で変形させたり、様々な方法でTVの違った映像表現の模索
- Exposition of Music:パイクの初めての大規模展示のステートメントとその資料
- Good Morning Mr. Orwell:ニューヨークとパリを衛星通信でつなぎ大規模な同時パフォーマンスを行うパイクの最初のサテライトアートのプロジェクト(記録映像等)
- Robot K-456:パフォーマーとしてのアート・ロボット
- Hommage à Nam June Paik #1 ― Symphony for 20 Rooms:Yongju Kwon, Eda Kang, Hyunjoon Chang らによるパイクへのオマージュ作品
の7つになっていました。
“Video Chandelier”。これは恐らく常設?
上4枚、パイク・アベ・ビデオシンセサイザー(復元)。ビデオミキサーだけが新しく違和感がすごい
実験TVの一つ “Nixon TV”。2つのブラウン管テレビの映像が磁気によって歪ませられている。
ボケているが、、実験TVの一つ “Participation TV”。2つのマイクロフォンの音がx/yとして映像へと変換される。タイトルが示唆的。
水槽の後ろにテレビの映像が流れる “TV Fish”。フラッシュ禁止なのは恐らくこの魚を刺激しないようにというのもあるのだろう。
映像上映。左より “Good Morning Mr.Orwell”、 “Video Commune” 、 “The Medium is the Medium”。4時間ぐらいあるのを無限ループ上映している、音声がヘッドフォンなのだがモノラルなせいか左側のみから聞こえる、スクリーンがバレーボールのネットみたいなものに付けられている(あんまり張られてない)、などなど、中々ハードコア…。
“Robot K-456”。流石に動きはしなかった
Nam June Paik Art Center Prize :Blast Theory “You Start It”
2階では毎年パイクの思想と共鳴する人を選出するナムジュン・パイク・アートセンタープライズという賞で選ばれたイギリスのアートコレクティブBlast Theoryの展示が行われていました。このプライズが面白いのは賞が送られるのはアーティストに限られず、2010年には哲学者/社会学者のブルーノ・ラトゥールも受賞しています。
こちらは展示の写真をすっかり撮り忘れてしまったのですが、、ビデオ・インスタレーションを中心としながらも、映像に向けて話しかけることが出来たり、スマホアプリを使って作品の中に参加できたりするものもあれば、かなりSFムービーチックで、スペキュラティブデザインのプロジェクトっぽくも思える映像作品、東日本の震災での沈んだ船を引き上げるプロジェクトの記録映像など、非常に今っぽいなーと思える作品群でしたが、1階の展示を見たあとだと、テクノロジー/映像とコミュニケーション/参加などの組み合わせ方など選出された理由も非常に納得がいく感じがしました。
また英韓交流のアーティストレジデンシーの公募も毎年やっているようです。
https://njpac-en.ggcf.kr/archives/education/residency-exchange-programme?term=8
雑感
“アートセンター"の条件
展示以外に見ていて非常に興味深いなーと思ったのは、いわゆる記念館、としての機能だけではなく現代に目を向けた “アートセンター” としての役割を強く自覚しているのだなということです。
例としては施設の機能としてワークショップのためのエデュケーションルーム、関連資料を集めたミニライブラリーがあることです。
https://njpac-en.ggcf.kr/library
図書館は本の数的にも東京都写真美術館が近そうです
日本で “アートセンター"を名乗っている場所といえばやはり山口のYCAMが挙げられますが同様に図書館が併設されていたり教育プログラムとしてワークショップを盛んにやっております。
現地でほー、と思ったのは周辺環境で、都会というよりは住宅地、それもかなり団地/ニュータウン的な環境の近所にあるようで、周辺に小中学校が沢山あるようでした。あとそもそも目の前が高校です。羨ましい。
この場所をそうした理由から選んだのかどうかは定かで無いですが、これだけ子供の多い環境ならば教育プログラムも実験のしがいがありそうだなあと思いました。新作が作られていく場所ではない分ワークショップにかける比重はまた変わってくるでしょうし、作品の修復を通したワークショップも行われているようで、それはNJPACならではですね。
2階の小さなスペース “Flux”。中には子供向けのiPadのアプリでパイクの作品などについて学べる展示があります(英語はなかったので内容がわからなかった…)
もう一つ注目すべきは「研究」の分野でしょう。どちらも研究活動は行っているもののYCAMは新しい表現/地域開発/教育の為の研究を広く行っているのに対して、NJPACは作品の保存やその活用が中心にあるようです。
Webサイトでコレクションがきっちりまとめられていたり、作成した出版物は一部オープンアクセスでみられるようにもなっています。
https://njpac-en.ggcf.kr/archives/artworks/collection
このあたりはNTT ICCのオンラインアーカイブHIVEにも近いでしょうか。
アーカイブ中心、かつその年代や施設規模的にも近いものとしては大阪の万博記念公園にあるEXPO’70 パビリオンも近いです。個人的にはどちらも中心的な時期が殆ど自分の生まれる前/直後なのでこの時期の活動は当然記録でしか知ることが出来ず、万博のアーカイブは規模が大きすぎて紙の資料の量だけでも壮大なことは分かるものの、実物がほぼ残ってないので実際に体験した世代とのイメージの開きは大きいのだろうなあと見れば見るほど思います。
このあたりのメディアアート作品の単なる動画や資料以外のアーカイブ方法など、保存・修復は最近のホットトピックでもあり、噂ではNJPACはブラウン管を買い占めまくってるということを聞いたりしました(似たような話では蛍光灯を使うDan Flavinの作品の保存のために同じく蛍光灯を買い占めまくってる、みたいな話も聞いたことがあります)。YCAMでも三上晴子作品の修復などでこの分野を取り組んでいたり、今年の岐阜大垣ビエンナーレの中の大きなテーマにもなっています。未だ答えの出ていない現在のテクノロジーアートにおける大切な領域といえます。
これはエントランスにある常設の作品なのだが、よく見るとブラウン管っぽいTVが液晶TVの後ろにブラウン管TVっぽい筐体ハリボテを後付しているものがいくつかあった。これもアーカイブの模索の形の一つ?
教育/地域/研究のいずれにせよ、きちんと現代社会との接点を積極的に持ち続けていくことがただの記念館ではなく “アートセンター"たり得ることの条件ではないでしょうか。
参加型アートとテクノロジーアートの現在
“Extraordinary Phenomenon"のステートメントを読んで「パイクの作品を参加型アートの観点から見るのか、新鮮!」と思ったりしましたがよくよく考えると観客を作品の中に巻き込んでいくものの源流であるハプニングだったりと時代的にも共通性があります。それにインタラクティブアートとは観客が作品に参加することが大きな肝だったはずなのに、気がつけば現代のそう呼ばれるものの多くはセンサーで受け取った値を処理して映像に反映…みたいな、**リアクティブではあるけど本当にインタラクティブなのか?というものが増えてしまい、観客-作者-作品の3者間の関係には目が行かずテクノロジーの方ばかりに目が集まってしまう、あれ、本来そもそもテクノロジーでコミュニケーションの在り方が変わることとかが大事なとこなんじゃなかったっけ…?みたいな、そもそも新鮮と思っちゃう今の状況が不自然なんだ!**となりました。
逆に近年のいわゆる参加型アートの議論もアートプロジェクトや芸術祭の話が盛り上がる一方テクノロジーアートの領域と合わせて話されることは少ないなと思います(ただこの辺自分もそこまで本気で本読んでないので、他人事と思わずちゃんと勉強しなきゃなと改めて思いました…)。
そういった参加型アートの観点からも、NJPACのようなアートセンターの教育や研究活動という長いタイムスパンの活動を地道に続けていくこと自体が芸術祭やアートプロジェクトだけでない一つの芸術への参加への答えなのだろう、と思いました。おしまい。
カタログと、柄にもなくトートバッグまで買ってしまった。展示物のデザインにお金かけてるのが伝わってきていい。