2017年4月から福岡に来て、ひとまず年が終わった。と言っても今は神奈川の実家にいるのだが。
そもそもなんで藝大卒業して九州に?ということをいろいろな人に聞かれるようになったので、少しは今に至るまでの流れをちゃんと説明しとこうと思い、2017年のまとめ記事も兼ねて書いて見ようと思う。
Who Are You
そもそも自分は何をやっている人かということから話す。
自分の肩書の説明にはよく迷うのだが、最近SoundMakerという肩書きを使っていたりする。
自分は音楽も作るし展示作品も作る。録音やミックスなどエンジニアリングの仕事もするし、効果音制作などのサウンドデザインや、インスタレーションのためのサウンドプログラミングもする。
肩書をアーティストとエンジニアで分けてしまってもいいのだが、自分のエンジニアリングの仕事は作品制作の中にも直結しているし、そこは分けずにいたい。サウンドクリエイターとか名乗ってもいいけど、もはやクリエイターとかいうのも逆に恥ずかしい。
そこで、創造性がどうだとかいう話は抜きにしてとにかく音に関わるものを全部作って作って作る人、としてSoundMakerという名前にしている。もちろん、メイカーカルチャーにも少なからずシンパシーを感じていることからでもある。
音楽も作りたいし、その音楽を作るための楽器も作りたいし、それを伝えるための音楽媒体も作りたいし、鳴らすサウンドシステムも作りたい。全部作るのがSoundMaker。
という名乗り方をするまでの振り返りをここから。
芸大にいた時
まず、2017年3月まで自分は東京芸術大学の音楽環境創造科というところにいた。何を学んでいたかというと、主に録音とか、映像に効果音をつけたりするエンジニア的な領域だ。
この音楽環境創造科(音環)というのはなんとも微妙な一体どんな環境を創造しているんだ…?という名前なのだが、そもそも東京芸大の音楽学部は基本的にクラシック音楽か邦楽(日本の伝統音楽)しかやっておらず、一番新しく出来た音環はそれ以外の音楽の領域を全部突っ込んだ場所なのだ。
なので面白いことに1学年20人と少数にも関わらず1.作曲(主に電子音楽や映像音楽とか)、2.アートマネジメント、3.音響、4.身体表現、5.文化研究、6.音響心理研究とやたら広い領域の人達が集まっていた。
なので、普通に音響の勉強していたらありえないのだがエンジニアリングを専攻しているのにもかかわらず卒業制作でサウンドインスタレーションとかを作って卒業、とかもありで作っていた。
この作品は音を使ってデジタルデータを保存する音響遅延線メモリーという装置を現代において別の形で作り直す、というものだ。
Listen to the Daxophone
さて時間を遡るのとなんでそんな作品を作り始めたか、ということだが。
自分は元々ギターを弾いていて、でも演奏が下手なのでエフェクターばっかりいじってるような人間だった。そこから開き直って、テクノロジーで音楽を変えていくぞ!みたいな抽象的な事を言って大学に入った、、覚えがある。
しかし曲作ってみたりバンドをやってみたりしたもののあんまりうまく行かずウンウン言っていた頃にこの映像を見た。
ギターなのに全然ギター弾いてなくてエフェクターばっかりで演奏してるけど、めちゃくちゃかっこいい、何なんだこれは、、、こういうの「アリ」なんだな…と思ったのをよく覚えている。そんな折にたまたま内橋和久さんがダクソフォンという楽器の展示をやるのを手伝って欲しいという募集が来たので即応募。
あざみ野コンテンポラリーvol.5 ハンス・ライヒェル×内橋和久 Listen to the Daxophone
この頃授業でPuredataやProcessingなどのプログラミングをしていたので、いわゆるメディアアートの領域に興味を持ち始める。後にインターンに行くYCAM Interlabの存在もこの展示で技術協力していたので知った。
これをきっかけに自分でも展示作品作ってみるか!となって作ってみたりしたが、一人で作った結果体力的にヘロヘロになり個人で作ることの限界を感じ、逆に集団でデカい作品を作るって何なんだろう?と思うようになった。
チームラボ
学部2年も終わりの頃、そんな考えからチームラボにバイトで入る。はじめは音関連のことちょっと触れるくらいでもいいかなと思っていたが予想よりもかなりがっつり関わることができ、展示の機材選定やスピーカー配置の設計やらMaxを使ったインタラクティブなサウンドプログラミングまで音周り一通り全部やったり、海外含めたいろんな現場の設営を経験することが出来た。
プログラミングを始めた頃は映像から音響まんべんなく出来るようになりたいと思っていたが、音響関係のプログラミングの人材は映像関係より圧倒的に不足しているということを仕事としてやり始めてから強く実感した。それなら元々音響出身の自分は音響特化型になったほうがいい、かつそのためにはプログラミングだけというよりは音響理論の知識そのものがもっともっと必要だなあと思うようになった。
YCAM Interlab
https://www.ycam.jp/aboutus/interlab/
チームラボに入って半年後ぐらい、学部3年の夏休み2ヶ月まるまる使って、ラボの方はお休みして山口情報芸術センターにインターンに行った。YCAMはアートセンターですが作品制作や教育、地域開発の為の研究組織Interlabを持っていて先程のような、複数人で作品を作るのはどういうことなんだ!というのを学びに行きたかったのだ。
しかし目標がそういう抽象的な感じだっただけに具体的に何か成果物を作るというよりはひたすら展示・公演の裏方を手伝う感じになった。正直な所あんまり大きく挫折!!みたいな事思ったことがなかったのだがこれは珍しく今でも後悔が残っている。
ただ、それはそれで作品を作る主体とか、エンジニアの作家性とか、専門性の深さと広さとは・・・・・みたいな事をじっくりとモヤモヤ出来たのは良かったのかなと今では思うし、やっぱりYCAMで見た作品や出会った人は今でも本当に大きな体験だったと思う。
あと、これは今になって思うことだがインターン中/後にEyewriterという2010年ごろにopenFrameworksで作られたプログラムが新しいOSでも動くようにして欲しい、ということでせこせこコードを書き直していた経験はこの後の作品での記録・記憶といったテーマとの関わりの起点の一つになった。このまとめとかをよく読んでいたのを覚える。
芸工へ進学
さてやっと本題、なんで福岡にまで行くつもりになったのか。
「送れ|遅れ / post|past」やその前の作品で音響遅延線メモリーという過去のデバイスを取り上げた作品を作る中で、資料の論文を読んでいくリサーチベースの制作をするようになり、論文というフォーマット自体が良いなーというか、作品のアーカイブとしての機能だったり批評する・される流れがあることはいいことだなと思い始めた。
そういった中で大学院に進学するにあたって、芸大は技術的なことに絞ったものならともかく作品について論文を書いて研究できるような所ではない。そもそも音中心のテクノロジーのアートは日本の芸術大学の中では宙ぶらりんというか、きっちりやれる所が無いのでどうしよう?となった。かつ、音響の専門知識は芸大にいながら自力で頑張っていたものの独学に限界も感じており、もうちょっと深掘りしたいとも思っていた。
というタイミングで偶然自分のやっていることと近いプロジェクトをやっている、かつ作品制作と研究を上手く両立している先生(ちなみに初めて会ったのはYCAMのインターンのとき)が九州大学の芸術工学部に移るという知らせを受けた。
東京から離れるのに抵抗もあったが、それはそれで作品制作にも集中できそうだし、九大の芸術工学部(元々は九州芸術工科大学という一つの大学でした)の音響設計学科は音響理論日本で勉強するならほぼ間違いなくベストだったりという理由で、2年間ならアリかなと思って決めたのだった。
実際どうだった、2017年
17年度前半は特に、これまでの作品が**「音を使った作品」に寄っていき「音楽」から離れていく**ことへの違和感から方向性を音楽側に戻したい、新しいことやるぞと思っていたので、その中でインプットが少なかったのはちょっとつらかった。
芸工は基本的に理系なので、あたりまえながらアーティストが圧倒的に少ない。ちょくちょくアルティアムやアジア美術館で良い展示もやっているが展示の数自体も東京と比べれば圧倒的に少ない。
もちろんそれはわかっていたことなのだが、自分の作品について真正面に向き合うだけ(+音響理論のガッツリした勉強の課題とかが飛び込んでくる)というのは中々厳しく、夏ぐらいまではわりと鬱々としてしまった。
ライブ
とりあえず、音楽領域に戻るために演奏から久しく離れてしまっていたのでまず色々やりながら試してみるか、ということで3本ライブをした。
Live Performance with Feedback Mixer
これは6月にやったPC無しのライブ。中村としまるさんのノーインプットミキサーというミキサーのアウトプットをインプットに戻しミキサー自体を楽器にしてしまうシステムに、更にスピーカー→マイクのフィードバックも加えたもの。
これは10月にやったCrackleboxというノイズボックスみたいな楽器に、自作の複雑にフィードバックするプログラムを組み合わせたもの。
10月のライブは悲しいことに動画データをふっ飛ばしてしまい記録が音以外無いのだが、そのためのテストの動画兼、蓮沼執太フルフィルのオーディションに応募した時の動画は残っていた。嬉しいことに蓮沼フルフィルには加入することが決定し、来年の8月にライブをする予定。
これはついこの間12/24にやったラップトップのみのライブ。10月にやったプログラムをもうちょっと改良し、単体で演奏に耐えうるようなものにしつつ、もうちょっとポップなものに寄っていきたいなと思ったのでループサンプラー等を加えてみたりした(これから動画あげます!)。
コンピュータ無し→部分的にコンピュータ→完全コンピュータと分かりやすい遷移をしたが何もアナログが嫌いになったわけではなく、次は10,12月のライブで使ったプログラムの根幹部分を丸ごとハードウェア(かつセミアナログ)にしてみたいなと思っている所。
前期にウンウン言いながらもガッツリと理論が勉強できたのは結果的にこのライブシステムの構築にダイレクトに役立った。微分方程式をひたすら解いたりシミュレーションするのを通して、特に力学についてどこまでが理論で解決できてどこからが出来ないかがよりクリアに分かるようになったのと、この先また数年自力で勉強できるだけの糸口が見えたのは非常に良かった。
展示
展示作品に関しては2017年は卒展の後は新作「Aphysical Unmodeling Instrument」を一つ作って、その作品を10月末に奈良の町家の芸術祭「はならぁと」で、12月にインターカレッジソニックアーツフェスティバル(ICSAF)で展示した。
Aphysical Unmodeling Instrument紹介ページ
作品本体の説明は紹介ページに任せるが、領域を音楽に移す事を作品のコンセプトに加えて、形式としてそれ自体を展示というより演奏のように捉える事を試したかった。その為に複数回展示(演奏)をしていて、今後も何度か続けていく予定だ。
論文・ポスター発表
「Aphysical Unmodeling Instrument」の制作とその考察についてを、11月のAESジャパンフォーラムではポスターで、ICSAFと同時開催だったJSSA研究会では論文とプレゼンで発表した。
雑感
ざっと言うならば、作品制作と社会との接点の持ち方をもっと広い目で見ていかなくてはならない、と強く思った。
例えばアートと研究。2者の両立は最近様々な所で呟かれているが現実はそう簡単でもない。
IAMAS OB/OG INTERVIEW : INDEX > 003 今はImpossibleだが、将来的にpossibleになるかもしれない、同性カップルの子どもをシミュレートしたアート作品
クワクボ:日本と海外のアート教育に何か違いは感じましたか。
長谷川:一番違うなと感じたのは、 RCAでは作品を作る際に、先行事例や背景、問題点とその解決方法、評価軸、どんな点において自分の作品がユニークであるかなどをまとめたペーパーを書きます。私も昔はそうでしたが、日本のアーティストはペーパーを書かないですよね。だから似たような作品が多くなるのかなと感じています。日本のアーティストももっとペーパーを書いた方がいいと思います。
クワクボ:ペーパーを書くことで自分のやっていることが整理できるのはありますよね。
この意見は非常に納得できる。ただ、まだアーティストとして駆け出しで多方面から批評をもらうことが少ないと、どうしても自分の作品を自分だけで批評する状況になってしまい、そのことで作品が本来持っている様々な方向への可能性を一つに絞り込みすぎてしまう危険がある。敢えて挑発的な言い方をするならデザイン的になりすぎて折角アートでやっている意味がなくなる、と言ってもいいかもしれない。
あと、発表する中で研究することそのものと学会で発表することとは全然別のことなのだ、と当たり前ながら感じた。作品を作る中で「研究」は必要になってくるが、それを発表するフォーマットが学会発表でなくても、作品に反映するにも、自分のブログに書くでもありっちゃありで、それはどのコミュニティと接点を持って交流したいか、だけなのかもしれない。
卒制「送れ|遅れ / post|past」はありがたいことに学生CGコンテストのノミネートとアジアデジタルアート大賞で入選を頂けた。しかしコンペに入賞すること自体に物凄い価値があるわけでも無いのがまた芸術の特徴だ。
でも、多分この賞をもらえたことで去年は散々だった給付奨学金や作品公募の選考には影響が出てくるだろう。しかし、そうすると研究や展示、作品そのものよりも実績があることで新たな実績のための材料を取れるようになる、みたいな循環が出来上がっていくことへのなんとも言えない息苦しさも感じなくはない。
そういう状況で、じゃあ助成金とか、コンペとかに頼らずに自分の作品やパフォーマンスをどう社会に提示していくのかを考え始めると、恐らく展示や演奏、そして批評の場というか一連の流れのインフラ自体を自力で作っていくしかもう無いのだと思うし、別にそれが絶望的なことでもなく当たり前なのだとは思う。
(ただ、その道としてマスに働きかけて数の力で批評を捻じ伏せる、という状態になってる例は最近多い気がしてて、そうでない解決法は自分でもまだよくわからない。)
そして音楽自体の領域でも、ポップと実験性の在り方ということについてライブの企画の中で考えていた。今実験音楽と言われているものを形作るのは実験性云々よりもそのコミュニティで、これはどの音楽ジャンルでもそうで先立つ音楽的特徴より前にそれを作っている人たちのコミュニティが存在している、と最近よく思う。
その中でも自分が本当に興味があるのはポップかポップでないかを行き来するという意味での実験性なのだと気がついた。もともと自分の音楽的バックグラウンドは日本のポップミュージックだし、ポップの定義は時代とか社会の状況を反映し続けながら目まぐるしく変化していく。それに追従しながら時に逸脱することでよりポップの輪郭を浮き立たせる「実験」は素直に好きだ。
そういう考えもあって12月のライブ「緑青」の企画をしたりもしていて、結果的に自分のソロはポップのポの半濁点にかすったかどうかレベルのものだったが、冒頭に3人同時セッションしたりした時はちょっと面白いかも…!と思ったりもした。
セッションリハ https://t.co/VO5VZcNyvl pic.twitter.com/EuSQ2In0DP
— 岡ともみ (@tomomioka_znk) 2017年12月24日
2018年どうしますか
あまり新年の抱負とか書かないタイプだが、12月に展示・ライブ・論文と全部やって一区切り感もあるので。具体的な予定は既に結構決まってきているのだが、個人的にやりたい願望はこの辺。
ハードウェアの楽器を作る
これはさっきも少し書いたが、ラップトップでやることである程度音のバリエーションの実験を一通り出来た手応えはあり、逆にインターフェースとしてマウスとキーボードしか無いことへの不満が出てきたため、というのと、基板設計そろそろ手を出してみたい、というのと、蓮沼フルフィルに向けて何か自分だけの楽器が欲しい、みたいな様々な欲がミックスされた結果でもある。これは早めに取り組む予定。
大きめの展示をする
修了制作を作るにあたって、芸工では芸大やIAMASのような修了制作展があるわけではないし、折角なら大勢の人に見て貰えるようにしたいし、「Aphysical~」も続けて展示したい。そうなるともう個展に近い感じで自分のやってきたことをドーンと見せる機会がそろそろあってもいいかもしれない、と思い始めたりした。まだまだ構想段階なのでいつ頃とか全然決めてないが、それこそ12月とかに。しかもできれば福岡と東京両方とかでやりたい。言うだけなら自由。
2019年以降の身の振り方を決める
修士1年がもう終わろうとしていますが、ここに来て普通に就職とかいう選択肢はもはや流石にない。博士に進んで研究としての作品制作はやろうと思えば余裕であと3年4年ぐらい費やせそうなところなのだが、仮に学振取れたにしても、福岡でもう3年居続ける事が本当にいいのかという思いや、しかし東京に戻ってもまた大学院探しに振り出しに戻るだけという問題もある。
研究自体は好きなのでエンジニアリング中心なフリーランスやりつつ研究兼作品制作が出来れば言うことなしだが、制作並行しながら働いてるフリーランスの皆様でさえ忙殺されているのに更に論文書く時間など取れるのだろうか・・・という思いもある。
となるとQosmoのように事業の中に研究も含む会社を起こすのが正しいのだろうか、、、とかも考えたり。もう少しだけ迷うことにする。
直近の予定
1月:初めて国際学会への論文投稿の締め切り。ていうか今正に書いてる所で、この記事書いてる場合ではないのでは?
2月:2/22~27にアジアデジタルアート大賞授賞展で、「送れ|遅れ / post|past」の再展示。何気に福岡で初めての展示ですが、いきなりのアジ美でドキドキです。ちょっとバージョンアップもしたいところ。
3月:30,31辺りで研究室の成果発表イベントを芸工で行う予定。自分は無響室を使った展示を画策しています。多分ライブもする
4月:東京東側の方でパフォーマンスをやる予定。これはライブというよりも展示でやっているようなことをパフォーマンス形式で再構成することを試してみたい。
というような加減。
昨年は色々実績も出せたけど殆どは去年度までの貯金みたいなものだったので、4~12月にやったことはまだスタートダッシュ、今年が本番ということでやれるだけ頑張っていこうと思う。それでは今年もよろしくお願いします!