The arts were replaced by media that could manipulate sight and sound precisely because their technologies operate beyond all thresholds of visual and auditory perception. Entertainment media, for that reason, are nothing but the human-machine-interface of a system that operates in a no-man’s-land stretching from communications technologies to digital signals processing.
メディア技術は、視覚的、聴覚的知覚のあらゆる閾値を超えて操ることができるために、芸術は、視界と音を精密に操ることができるメディアへととって代わられた。エンターテインメント・メディアはその意味では、通信技術からデジタル信号処理までの中間地帯(no-man’s-land)で作動するシステムのヒューマン・マシン・インターフェース以外の何者でもない。
Playback - A World War History of Radio Drama, Friedrich A. Kittler, translated by Michael Wutz, in Kittler, Friedrich A., Geoffrey Winthrop-Young, Michael Wutz, and Ilinca Iurascu. Operation Valhalla: Writings on War, Weapons, and Media. Durham: Duke University Press, 2021. p91 日本語訳は松浦
昨日、博士論文が製本されて届いた。中身の概要は公聴会の告知に書いたとおり、mimiumという音楽のためのプログラミング言語の実装を通じて音楽のための道具を作るとはどういうことか、という問いを歴史的視点も交えて考え直すものだ。
この博士論文には、執筆時に具体的に意識していたわけでもないけれど、サブテーマと言えそうなものがいくつか存在している。その中でも、書きながら一番意識していた、しかし一番目立たないであろうサブテーマが、音楽の視点から見た戦争とテクノロジーについてだった。
書いている間は、この視点は目立たなければ目立たない方が有効なのではないかと考えていた。しかし、どうやら戦争が始まってしまった今日(2022年2月25日)、それが正しかったのかどうか少し悩んでいる。そこで、少しだけ論文に書いた内容も、書かなかったことも含め今考えていることをまとめておきたい1。あまりまとめる気もしないので、個別にトピックをバラバラと並べるだけになるのは許してほしい。
音楽テクノロジーと戦争について考え始めるようになったのはいつからかあまりわからない。しかし、2020年の香港での治安維持法成立や、去年頭のアメリカでの連邦議会襲撃が起こった頃には明確に意識するようになっていた。
自分の作品でテーマにした音響遅延線メモリーがコンピューター黎明期に作られたテクノロジーであったことも含め、コンピューターと音楽の歴史を振り返ることは、実質的にコンピューターを戦争以外の用途で使うことについて考えることでもある。どう振る舞うにしても、考えないわけにはいかなかった。
コンピューターが当初弾道シミュレーションのために作られたことは今更強調するようなことでもない(、という程度の認識はそろそろ広まっていると思っている)。ただ一方で、世界初のコンピューターであるENIACの開発者の1人であり、音響遅延線メモリーという装置を考案したJ. Presper Eckertの人生史2を読んでいると、戦争のためのテクノロジーがどのようにして捻り出されるのだろうと考えるようになってしまった。
音響遅延線メモリーは名前の通り、音波をデータ保存に利用する装置だ。そしてこの音を利用する装置の仕組みの考案にはエッカートのバックグラウンドが深く関与している。
エッカートは7歳の頃には塹壕ラジオを作っていたように、若い頃から様々な音を用いるテクノロジーへの興味を持っていた。高校生の頃には礼拝堂で鐘の音を流すためのサウンドシステムを作って金をもらっていたりもしていた。それだけでなく、嘘発見機の仕組みをベースにして作られた、電極をつけた2人が手を握るとそのドキドキ度合いに応じて爆音と光で賑やかしを行う「osculometer(キス測定装置)」のような、結構アホみたいな装置も沢山作っていたそうである。今日であれば、MakerFaireとかに出展されててもおかしくはない、ある種のエンターテインメント目的の装置である。
エッカートのこうしたバックグラウンドが無かったとしたら、今日の電子計算機の姿は大なり小なり異なるものだったかもしれない。
博士論文のタイトルでもある、音楽土木工学という存在しない学問をでっち上げ始めたのはおそらくこのツイートが最初だったと思う。
自分の専攻、強いて言えば音楽土木工学(Civil Engineering of Music)かもしれない
— Tomoya Matsuura 松浦知也 (@tomoya_nonymous) May 13, 2020
この時、実ははじめには別の言葉を思い浮かべていた。
自分の学部時代の専攻は音楽環境創造科という抽象的なもので、人に説明する時にはクラシック以外の全部を詰め込んだ寄せ集めですよ、みたいな説明をよくしていた。しかし音楽プログラミング言語を作り初めてしばらくしてから、おや、自分がやっているのはもしかして音楽環境創造以外の何物でもないのでは、と思うようになった。音楽環境創造、いい言葉。
なので、自分の専攻は音楽環境創造だとはじめは呟くつもりだったのだが、この言葉のニュアンスは英語に訳すと、Musical Creation and Environmentとなっていて、微妙に自分が思うものとはズレていた。EnvironmentのCreationではないんだよなあと(寄せ集めの場所としてはandの方が正しいだろうが)。
そこで、もうちょっと自分の専攻として正しい言葉を考えるならなんだろう、と思った時に出てきた言葉が土木工学だった。
土木工学の英語訳にあたる単語はCivil Engineeringである。それぞれ直訳すればEngineering of Soil and Woodと市民工学となるように、元々日本語とは由来が異なる語でありながら、現在は概ね同じ領域を指しているという、ある意味珍しい言葉だ。
Civil(市民)、とあるが、英語のCivil Engineeringとは概ね軍事技術でない工学、という意味合いを込めて使われることが多い。この由来はいくつかあるらしいのだが、1750年ごろにイギリスの工学者ジョン・スミートンが自らの専門を、相容れない軍事的な研究と区別するために名乗り始めたことがひとつの起源とされている3。
電子計算機ほど、軍事的な用途に由来しつつ、Civilizedされた技術も他にないのかもしれない——などと書こうとと思ったが、考えてみると無線/有線、電気/音響問わず、あらゆる種類の通信技術、メディア技術ほどWW2以降に軍事的に活用された技術も他にない。そして、通信技術がそのように発展したからこそ、多くのコンピューターに関わる技術はベル研究所やRCAのような電話やラジオの技術研究の場を中心に発展してきた。
これは初期の電子計算機のメモリ技術を考えればわかりやすい。既に挙げた音響遅延線メモリーはスピーカーとマイクロフォンという聴覚テクノロジーが流用され、同時期に並行して採用された陰極線管メモリはブラウン管TVという視覚メディア装置を流用するのに近い仕組みをしていた。黎明期のコンピューターの記憶の仕組みは、見ることと聴くことの技術によって成立していたのである。
ともあれ、今日もはや何が軍事技術で何がCivilizedな技術なのかということは、通信メディアテクノロジーを筆頭にとんと区別がつかなくなってしまった。
今更わざわざ指摘しなくても、ナイフの使い方次第で便利な道具にも人を殺す道具になるという結論に変わりはないのかもしれない。しかしだからこそ、メディアテクノロジーやエンターテインメントに関わる研究を行う時には、わかりやすくCivilizedな技術であり、政治的に中立な立場を取りやすくも見えることから余計な心配がひとつ減るという意味合いも持っているだろう。
だが実際のところ、現代であってもエンターテインメント技術を研究することが中立なのかといえば、それはむしろ逆のはずである。
音楽のためのプログラミング環境としてもっとも有名なものであるMaxとPureDataというシステムにはbang
というオブジェクト(処理の基礎単位)が存在する。bang
というのはデータの種類(型)をあらわすものでもあって、普通のプログラミング言語でいうとvoid
やunit
などと呼ばれる、データの中身を持たない型のことを指す。
MaxやPureDataはデータを上から下へと様々なオブジェクトを経由させながら変換していくような仕組みを持つのだが、そのきっかけとなるもっとも基礎的な命令が、データを持たないbang
である。あらゆるMaxパッチとPdパッチでは日々bangがオブジェクト間を駆け巡っている。
ところで、MaxとPureDataのオリジナルの開発者であり、今でもPureDataの開発を続けているミラー・パケットは、このbang
や、同様に基礎的なオブジェクトであるtrigger
という語の由来に関して、半ばノリでの命名であったものの、文字通り中の引き金を引くメタファーであり、当時のコンピューター音楽に軍事技術との接点が見出せることを示唆している。4
60~70年代、冷戦を背景にした初期のコンピューター音楽に関わる研究の多くが軍事的な予算の元に開発された。有名なものでは、ジョン・チョウニングが開発したFM合成の研究なんかは全力でARPA(現在のDARPA)の予算の元開発されていた5。このFM合成の発見には、Maxの大祖先にあたるMUSIC IVという音楽プログラミング環境が利用されていた。
まあ、FM合成に関しては結局、後にヤマハに特許をライセンスすることにより、FM合成を搭載したDX7の商業的成功とともに軍事予算に頼らず安定した(早急な成果が求められるものでない)研究がしやすくなったという、かなり珍しい道筋を辿っている。とはいえ、多くの研究はパケットが"何も考えずにいたければ銀行のシステム開発のソフトウェアの仕事をすればよく、研究がやりたいなら軍事的な予算を受け取ることになる“という状況にあったのは間違いない。
それに、軍事的な予算への依拠だけが音楽コンピューティングと軍事技術の関わりというわけでもなかった。
Maxは当初、IRCAMの4X(カトル・イクス)という大規模なリアルタイム信号処理のためのワークステーションのために作られたテキストベースの言語だった。1984年ごろの話である。
この4Xというシステムはコンピューター音楽史上では、(実質的に)無制限にオシレーターやフィルターのような信号処理モジュールが利用でき、かつリアルタイム処理が可能な世界初のシステムとして位置付けられている。当時のIRCAM所長だった作曲家/指揮者のピエール・ブーレーズの「レポン」という作品に利用されたことでも知られている。
ところがこの4Xは、文化人類学者のジョージナ・ボーンが同時期に行ったエスノグラフィでは、IRCAMの当時の研究開発体制における様々な矛盾を象徴するものとして位置付けられている6。
IRCAMはアカデミアという商業から離れた場所で先進的表現の研究を行い、それが世に広まっていく(トリクル・ダウン)という考え方のもと技術開発が行われていた。その一方で、日夜アップデートされるUNIXのようなより基幹的な技術への対応に追われたり、その割にはインタラクション/インターフェース研究をほとんど行わず、リアルタイム処理のためのプロセッサ開発のような極端に基礎的な部分へ投資を行っていた。
そうは言っても、IRCAMの中でシリコンチップが生産できるわけでもない。4Xのハードウェア生産はSogitecという企業と協力することで開発された。
当初商業化を目指して(わざわざスタンフォードで用いられていた類似のシステムの購入をやめてまで)開発された4Xだったが、結果的にはハード/ソフト含めシステム構成が複雑すぎてコンピューター音楽研究のために商業化されることは敵わなかった。
しかし、商業化自体には実は成功している。どういうことかというと、Sogitec社の本来の業務であった、潜水艦のソナー音の合成のような、信号処理ではあるが音楽では全くない分野への活用という形で商業化されたのだ。
1994年の季刊インターコミュニケーション9号 特集:音=楽テクノロジーには、ブーレーズに関する論考の中で4Xに触れている記事が2つ隣あっている7。1つは作曲家の野平一郎の記事。もう1つは美術史家のオットー・カール・ヴェルクマイスターの記事である。
どちらも同じくブーレーズと音楽テクノロジーというテーマを題材にしているにもかかわらず、この2つの記事は奇妙なコントラストを見せている。
野平はIRCAM設立までの経緯や4Xの顛末を丁寧になぞりつつも、その主張は概ね、音楽家と技術者の緊密な協力による新しい表現の開拓といった印象を残している。
4Xはその誕生から10年後に、NeXTを中心とする新しいワークステーションにとって代わられるまで、多くの作品を生み出し続けた。「レポン」がその先鞭を付けたとはいえ、4Xなしにはその後の若いフランスの作曲家、フィリップ・マヌーリを中心とした、楽器とコンピュータの間の緊密な相互作用をリアルタイムで行う音楽の探究もあり得なかった。(p86)
一方、ヴェルクマイスターの論考は、読んでもらう方が早いだろう。
こうして、過去の音楽学校や音楽院の文化的鎖国主義とは逆に、ブーレーズの音楽城塞は、技術的発展と財政的見通しを延ばしつつある音楽制作と即座にインターフェースを行ってしまう。 ソジテックとの共同作業について研究所のパンフレットはこう言っている。 「1981年の(サウンド・コンピュータ4Xの)プロトタイプの生産について、改めて工業生産及び販売契約 がソジテック社と結ばれた。このコンピューターは限定生産され、その応用用途を企業及び軍事の分野に見出した。その用途とはすなわち、(飛行機や潜水艦の)操縦者の訓練のための音環境のシミュレーション、工場騒音の解析、潜水艦のソナー用信号の合成である」。 こうしてIRCAMの自己資金調達法は自己の自立を肩代わりしてくれた国家経済の循環に自らの生産物をフィードバックし、最終的に軍需生産に寄与することになるのだが、国家はその軍需生産に対しては芸術に与えるのとは較べものにならぬほどの金をつぎ込んでいるのである。(p98)
ここまで読めば、パケットが使ったbang
やtrigger
の用語が単なるネタとしては消費できない程度に現実との接点を持ってしまっていることが実感できてくるのではないだろうか。
ラジオもテレビもSNSも、あらゆるメディア技術は、冒頭で引用したキットラーの言うように、根本的には誰かに何かを見せたり聴かせたり、逆に見せないように、聴かせないように遮る、情報の届く範囲の制約を制御するものだ。そしてそれは誰かが"bang"することで始まる。
戦争に関わる話題について記述し誰かに伝えることは、拳銃に弾を込めて発射するのと同等の重みがあると、論文を書き終わった今では素直にそう思う。
今何をやればいいんだろうか。香港の時もアメリカ議会の時もそう思った。でも、パリやロンドンでのテロのときや、クリミア併合の頃にはそこまで自分のことだとは考えていなかったように思う。結局私たちは、何かが起きてしまってからはじめて何年も前からことは既に始まってしまっていたことに気が付く。その意味では、日頃から安全保障について真面目に考えている人たちが、火蓋が切って落とされてからはじめて堰を切ったように平和を謳い出す人に苛立ちを覚える気持ちもわからないでもない。本当の落とし所は、全部やるしかないのだろう。募金もする。デモにも行く。10年後のことも考える。100年後のことも考える。それを毎日続ける。
念のためだが、論文の中から部分的に切り出している内容はなく、全て今回新たに書いたものである。 ↩︎
Eckstein, Peter. “J. Presper Eckert.” IEEE Annals of the History of Computing 18, no. 1 (1996): 25–44. https://doi.org/10.1109/85.476559. ↩︎
Florman, Samuel C. The Civilized Engineer. St. Martin’s Griffin, 1989. ↩︎
Reese, Ivan. “47 • Miller Puckette • Max/MSP & Pure Data.” Future of Coding, May 22, 2020. https://futureofcoding.org/episodes/047.html. ↩︎
The First Ten Years of Artificial Intelligence Research at Stanford Edited by Lester Earnest. 1973. https://ccrma.stanford.edu/~aj/archives/docs/all/756.pdf 2022-02-26最終閲覧。 ↩︎
Born, Georgina. Rationalizing Culture. University of California Press, 1995. ↩︎
季刊インターコミュニケーション Intercommunication No.9 特集音楽=テクノロジー , NTT出版, 1994 ↩︎